あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

この世はアトラクション


画像は今日見つけた金木犀
良い香り。
葉っぱには空の色が映っている。

ここ数年の運命の流れの速さを感じることが多い。
展示にしろ、そこからのパートナーとの再会、新しいことを始めたこと、受賞したこと、その後のこと諸々。

世界的には戦争が次々に起こり、一方で平和についての討論、動きも始まっている。
私は自然災害についても、戦争についても、昔の言葉を使えば「口減し」だろうと考えていた。
ただでさえ世界的に人口が増えているわけではないのに、ある一定の人数になるまで、更にそうされている気がしてならない。

地球を楽園にしたいけれども、私ひとりに出来ることは限りある。
寿命もあるからね。

とはいえ、人が生きるってことは、マラソンのバトンのように誰かにほんの少しのヒントを渡すことくらいだと思っている。
だから私が生きている間でも亡くなった後にでも何かしらその人にとって良い影響が誰かに出たと言うのであれば、もうそれで生きた意味にはなっているのだ。

私はたまに「あの時あなたにこう言われたからこうしたんだよ」なんて聞いては驚く。
と同時に、この人にとっていい方向に行けるヒントになったのなら私はここで終わっても大丈夫だとも思うほど幸せな気持ちになる。

人生はアトラクションだから使命なんて特にないのだとも知っている。
それに最近になってやっと自覚したこともある。
⚫︎母の作ったご飯を食べた時
「私はこの人の作る愛情のこもった美味しいご飯を食べたくてこの人の元に生まれた」
⚫︎身体は地球上での借り物でありパートナー。しかし強くはないので
「この料理はこのくらいの量なら食べられそう?」と胃腸と対話して共存している。
無理はさせない。
⚫︎ものづくりをしている時
「私は表現者になりたくて地球に来たんだ」と何度も何度も思い出す。
⚫︎パートナーと再会した時、一緒にいる時
「この人が私の最後のパートナー」
⚫︎そして誰かが本をめくった時
「私の地球での人生はこれで最後」と理解し、ここからを心に留めて楽しく生きようと考える。
私の地球での生活の土産話を楽しみに待ってる人たちがいるからね。

どんな生き物にしろ、生まれた瞬間終わりに向けて生きている。
その中でたくさんの始まりを体験し、自分の中の純粋な感覚や思い、エゴの思考に向き合い、最善のパラレルをひとつ選び、他の選択肢のパラレルと並行して進む。
自分も他人も尊重し、自らチャレンジして地上での冒険を楽しむ。
いつまで生きられるのかわからないからこそ、今を生きて、環境に感謝する。

この世はアトラクション。
新しいことにチャレンジして出来なかった時の悔しい気持ち。
出来なかったことが出来るようになった時の嬉しい気持ち。
中々叶わない夢を諦めずに続けていく気持ち。
続けていたら数十年かかって花開いた時の気持ち。
その気持ちに気付いて、体験をまた続けていくこと。

その気持ちは、自身にしかわかり得ない。
他人に説明したところで、全く同じ感覚で共有することはできない。
自分は自分の気持ちを心に聞き、包み込むこと。
人には人の気持ちと人生があることを自覚すること。
例え家族やパートナーでもそれは個々で違うことを体験しに来ている。
「一緒にいるこの時間」は共有できるが、気持ちや感覚は同じにならない。
ただし、それぞれのパターンなどを知って近しいものにするための情報共有、寄り添う気持ちは必要。

全ては加護されている。
やりたいことがあるなら、続けることだ。
それより楽しいことがあればそちらを続けることだ。
お金はあの世に持っていけないのだから、続けられる楽しさを見つけた方がいい。
気力がなくなるまで、夢中になって続けられることを見つけることだ。
それこそ最高のアトラクション。

夢中になる間、生き物の時間は早くも遅くもなるし止まったりもする。
つまりそこに生命力を費やすとき、時空が歪む。

好きなことをして生きている人を思い浮かべてほしい。
イキイキとしていていつまでも若々しく見えるのはそういうことだ。
整形をするのもいいけれど、そういう生き方も大切ではなかろうか。
なんたって、亡くなったらこの身体は連れていけないし、地球へお返しするものなのだから。
地球の肥料はなるべく化学物質が含まれない方が喜ばれるんじゃないかしら。

お題「リラックス法」