私は割と本を読む方だ。
昔は漫画が多かったが今は逆に漫画が読めず、活字中毒。
日々ファッションと同様に「今日はこの本を読もう」と毎日違う本をお供に出かける。
直木賞作家・小川哲さんの言葉で
「文章が頭に入ってこないのは、本の著者との情報や文章の作り方の相性が合っていないだけ」
「本を読むことが苦手な人は、自分に合ったやり方で情報や知識を提示してくれる本とあまりうまく出会えていない」
とあった。
確かに紀元前7世紀頃の古代インドで生まれたヴェーダ聖典の終盤を飾る哲学的・神秘的な本「ウパニシャッド」を理解しようと本を見つけていきなり読んだがチンプンカンプン。
一旦その本を読むのを諦め、インドの歴史や「バガヴァッド・ギーター」と周りから攻めてみたところ、ウパニシャッドに出てきた単語が少しずつ飲み込めるようになったこと、更にはニュースや小説や漫画にもその単語を見つけ意味を知るようになってきて解像度が最初よりも上がったことを実感した。
まだウパニシャッドは読めていないけれど、最初に読んだ時よりは理解できるところが増えていると思う。
ジャーナリングも同様。
インストラクターとして伴走する身なので、受講者がなぜ理解できない部分が出るのかを違う角度より学んでいくといろんな視点や可能性が浮かび上がり、原因をどこまで遡りどう導けば良いのかが閃くようになる。
私も小さな頃は「勉強」の何が面白いのかもわからずを押し付けられ苦しんでいたけれど、今は確固とした目的を持ち何を理解するために何が必要でどの方向から解き明かすのかを楽しめている。
親戚の子どもが小学校に入る前に「学ぶこと」について少しだけ私から話したことがある。
その少し前に一緒に公園の砂場で遊んでいた。
砂場にはいろんな色や形の石があり、小さな貝殻まで見つけた。
ここからわかることは、その場所はむかしむかし貝殻がたくさんある海だったかもしれないし、砂場の砂だけをむかし海だった場所から運んで来たのかもしれない。
だから貝殻が見つかるのかも。
いろんな色や形の石は水の流れの勢いによってコロコロ転がり続け削られているものもあるから、この石がいたのは海かもしれないし川かもしれない。
「アナと雪の女王」のエルサが好きなその子どもへ伝えたのは
もしも「アナと雪の女王」を知らないお友達に雪だるまのキャラクターの「オラフが可愛いよね」と話しかけても知らなかったら会話が続かないよね。
でももし知っていたら「お鼻がにんじんなんだよね」とお話をたくさん続けることが出来る。
そうやって、いろんな知識と想像力と角度を持って生きられると面白いのだ。
というようなことを話した記憶。
どこまで伝わったのかはわからないけど、とにかく学ぶとこれだけの可能性が広がって面白いよ!と私が小さな頃に教えて欲しかったことを興味が持てるように伝えたつもり。
色んな人が色んな相手の目線に立ってお話ができたら、きっと世の中がもっと柔らかく丸くなっていく気がする。
そんな世の中への解像度を上げる方法でした。
私的奢り奢られ論争にピリオド
ものづくり仲間の飲み会へ行きました。
SNS繋がりの主催者Aさん含め全員初対面。
私は元々人見知りをあまりしないタイプで、10代あたりからネットで知り合った大人達と会って話す機会が多かったのでそういうことも自分の知見を広めるに良いものだと自覚している。
今考えるとどんな人に会うかわからないから危ないとも思うけど。
さて、行ってみると職人さんや作家さん20人くらいが会話をしていた。
私は主催者Aさんを探し挨拶をする。
どこへ座ったら良いのか迷っていると職人Bさんが隣を空けてくれた。
着席して会話をしているとAさんは私とあまり会話をせずに別の席へ移動。
なんとか繋げるためにBさん含め色んな人と会話をしていた。
遠くの席から職人Cさんが私の隣へやってきた。
この界隈では職人Cさんはレジェンドらしい。
この人の作っている物や素材が私には一番興味があって面白かった。
次はまた遠くの席から作家Dさんがやってきたので作品を見せてもらったり、レジェンド職人Cさんからもらったという素材を見せていただいたりして会話が盛り上がる。
すると途中で職人Bさんが帰宅。
その後も職人さんや作家さんたちと楽しく会話を続け、飲み会お開きの時間に。
お会計時のこと。
私が細かく崩すのを忘れ一万円札しか持っていなかったため、出そうとすると一緒にいた作家Dさんが一緒にして出そうとしてくれたので便乗するも、職人BさんがBさんの分と私の分だけを支払って帰宅されたので結構だと主催者Aに言われる。
が、作家Dさんと私が混乱し会計がごっちゃになったまま解散。
帰宅してから、職人Bさんにお礼の連絡をすると、翌日のお誘いをいただく。
そういうことか、と理解した上で丁重にお断りをし、主催者Aさんにも情報共有。
そのときにAさんから私とあまりお話しできなかったのは外見がよくて緊張したからだと言われた。
この2人にはそう見えていたらしい。
しかしお財布を確認したところ、会計時に私が全額支払い、作家Dさんだけが支払っていなかったことが判明した。
ということは、職人Bさんは作家Dさんをご馳走したことになっている!ワーイ!
主催者Aさんと作家Dさんに事情を説明した上でそのままで良いと伝えたが納得していただけなかったので主催者Aさんのアドバイスにより折半することにして解決。
職人Bさんはこの事実をいつ知るのだろうか。
一生知らないかもしれないな。
私は金銭的に損をしたことよりも、知らぬ間に出来ていた変なご縁が出来る前に色んな存在により断ち切ってもらえていたことにこの上なく感謝をしていた。
未だに恋愛に発展する前の「奢り奢られ論争」が存在するというが、相手が誰であろうと不純な動機がわかると借りをつくったようで本当に気分が悪く精神的負担になるばかり。
だからこそ私は割り勘が楽。
私は誰にでも奢られたいわけでもモテたいわけでもない。
一回だけ行った合コンも、何回もさせられていたお見合いも、”それ” が見えたから嫌だったこともわかってくる。
結局奢り奢られ論争にはこの「不純な動機」の前に、信頼関係とお互いの好意があってこそだと感じているけれど、それがあったとてどちらかの負担になるのなら違うと思う。
恋愛というか、きれい事かもしれないけど、関わる人全般的に人間対人間として対等でいたい。
前のパートナー以降、ぱったりと恋愛する気力が消失したというか昇華し切ってしまったようで、誰と出会っても特に何もないし、起こっても疲れるだけなので起こる前に線を引き、距離を取る。
今はただ共に尊重し励まし合ってモチベーションを保てる仲間だけがほしい。
私のスケジュールや気力の負担になるだけのデートプラン立ててくる人たちと一緒にいるような時間は皆無。
私はあの時決心した通り本当に「最後の恋愛」を ”死ぬ気” でやり切ったからこそ後悔がないのだ。
それくらい好きな人と付き合えたのだから明日死ぬかもと思って一生分、生きて楽しんで恋して悩みながら愛していたと思う。
良い経験をさせてもらった。
あれ以来、お付き合いに発展することが一向にないし、私も好きになれそうなお相手に出会えていない。
たぶん、私は人と一緒にいることがそもそもあまり向いていないこと、そして万が一また恋愛するとしてもお互い変なプライドもなく相手の欠点を面白がるくらいに愛しく思い合えないと無理だろうな。
それよりも今は仕事と自分に向き合う時期なのだ。
「作家」という立場は私にとってとても楽である。
他人とちがう価値観を持っていても通る。
私の周りは勝手に心配してくれているけれど、私も未来がわかってるわけでもないから気持ちはわかる。
のたれ4ぬんじゃないか。と思うときもあるし、思われるときもある。
だけど、たぶん大丈夫。
最後までやりたいことやって生きた方が良いことも、孤独でいたってそっちの道の方が断然楽しいことも、誰彼に後ろ指を指されて何を言われようと諦めてきた人たちの嫉妬を実力で黙らせるしかないことも知っている。
ただやりきるのみ。
やり切ってのたれ4ぬ方が、何にもやらないよりはいくらか格好が良いと思う。
がんばるぞう。
当てはまらない褒め言葉
ルッキズムの時代。
「若見え」「マイナス○歳」とかなんとか。
「若さ」ってそんなに良いものでしょうか。
飲み会で私が実際よく言われるのは「若いですね」です。
自慢でも何でもなく事実です。
そこへ別の人に「喜べることではないよ」とにやけながら言われるのです。
その場はなんとかスルーし、飲み会が終わってから伝えたのは以下の通り。
”私は生まれてから一度も「大人っぽい」「老けてる」と言われたことがない。
小さな頃から今でもずっと「若い」と言われてきた。
それに対して喜んだことは一度もない。”
もはや言われすぎてうんざりしている。
年相応に見られたことがない。
頭からつま先まで「年相応」を目指しても変わらない見た目。
数週間前には親の付き添いで病院へ行ったら「お孫さんですか」と言われた。
親が老けているのか、私が若く見えすぎるのか、どちらもショックだった。
別に自分の外見が嫌いなわけでもない。
ただ、誰にでも通じるであろう褒め言葉 ≠ 誰でも喜ぶ言葉
自分でそれを伝えてから改めて考えてみると、確かに自分が誰かを褒めるときはしばらく様子を見て嫌じゃないだろう言葉を選ぶ。
だけど、テンプレートはいつまでも誰にでも通じるものではない。
時代は変わる、人々の感覚もそれぞれ違う。
モヤモヤしたことはひとつひとつ自分で消化し、他人にはそれを丁寧に伝えていくことにしている。
それは自分を大切にして守ることになる。
全部が伝わらなくても良い。
伝えるという行為をしたことが成長や自分の心の浄化に繋がる。
小さな頃はこれが難しくて、伝える前に涙が出てしまっていたが、その原因が最近わかってきた。
両親から否定され続けてきたからだ。
気持ちを伝えても伝わらないことがわかっていると、本音に蓋をして、言葉も出なくなり、あふれた気持ちが涙になって流れ続けるのだ。
小さな頃から感情を育てることは大切だ。
感情を否定せずに伝えることも練習が必要だ。
それには勉強だって必要だ。
私には私の気持ち・感情がある。
これをないがしろにすると自分が生きづらくなることはもうわかっている。
その場ではまだビシッと言い返せるくらいにはなっていないけれど、少しずつ伝えられるように、伝えきれなくても行動するようにしていこう。
▶▶
今読んでいる本に書いてあったことが面白かったのでここにメモしておこう。
・お金は使ったらあっという間に減るが、植物を育てたら時間はかかるが増える
・皆で共有していたものを細分化すればするほど独占欲が出る
「沖縄では銭湯や温泉に行くと誰のシャンプーという観念がなく自分の物のように使う人がいるし、それを許せる人と許せない人がいる」と聞いたことがある。
これだな、と感じた。
読書 de 投資
ここ数年、出かける時はファッションのように日替わりでその日に読みたい本を持ち歩いたり、身体を温めるため湯船に浸かりながら少しずつ本を読み進めている。
何冊か同時進行で読んでいるとたまーに点と点が繋がるので楽しい。
しかも集中できない時がよくわかり、自分が何に気を取られているかすぐに自覚できる。
没頭・集中する練習にもなってとても良い。
【最近読んだ本】
読了『BOXBOXBOXBOX』 坂本湾
宅配所を舞台に、顔なき作業員たちの倦怠と衝動を描くベルトコンベア・サスペンス。デビュー作にして第174回芥川賞候補作、第62回文藝賞受賞作。
🙂最後が面白いと聞いたので読んでみたけど大体が想像通りでなんだかな。最後がって言われちゃうと期待値が上がり過ぎてしまうま。ページ数も少なめで読みやすい。
読了『楽園のカンヴァス』 原田マハ
それは真っ赤な贋作か、知られざる真作か?
ルソーの名作『夢』を巡る傑作アートミステリー!
🙂詳しくはないけど作品は知ってる作家が出てくるので読んでみた。ルソーは純粋でどの時代でも生きづらい性質だったのだろうな。
未5/1『読み終わらない本』 若松英輔
100分de名著の人気講師がすべての若者たちへ贈る「読むこと」の哲学。
🙂実際まだ読み終わっていないけど手紙形式で読みやすく考え続けることができる本。
未5/1『時間を哲学する』 中島義道
超難問「過去はどこへ行ったのか」を考える。
🙂まだ読み終わっていない。これは3月に読書再開しようかな。
もうすぐ読了『孤独に生きよ』 田中慎弥
作家デビューまで貫き通した、15年間の引きこもり。
孤高の芥川賞作家による、反時代的幸福論。
🙂この方は常に「弱者として現代をどう生き抜くか」を考えていて共感できる。不思議なのは線の細さや危うさはあるのにかなり強い生命力を感じられるところ。
未5/1『海暗』 有吉 佐和子
米国がベトナム戦争に参戦しようとしている前夜。御蔵島が米軍の音速爆撃機の射爆場候補地となった。有吉佐和子はこの騒動を通して、厳しい自然の中で生きてきた島の人々の複雑な心境を、御蔵島の大自然と伝統文化の中に描ききっている。
🙂私もひとりで御蔵島へ行ったことがあるので過去に歩いた場所を想像しながら読めること、更に違う時代にタイムスリップしてその時の文化を知る感覚になれることが面白い。
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小・中・高は本当にほぼ漫画しか読めなかったのに、いつの間にか今度は漫画が読めず文字ばかりの本を読むようになっている。
まさかこれが成長ってやつなのだろうか。
私が本を読むには理由がある。
元々心配性なので未来を考えて生きる傾向があり
「もし体が動かなくなったら」
「目が悪くなって本も読む気にならなくなったら」
そんなことを考えて今読めるだけの本を読むようにしている。
あとは私の記憶力と想像力と精神力で楽しめるはずなのだ。
これは未来の私のための現在できる投資。
とはいえ、未来の自分がどうなっているのかわからないから役に立つのかもわかりません。
ただ今できる行動は人生の伏線として重要。
社会不適合者より社会的に生きないことのススメ
あおりんご、夢の中で「可愛いけどかわいそう」と若い男女に意地悪そうに言われる。
「社会的にはね」と私は答えた。
起きてから「社会的」についてうっすら考えた。
年明けに会った大阪の友人(会うの2度目)は年末に仕事を辞めたのだそう。
寒空の中、有名なカレー屋さんに並んでいる間に質問してみた。
私:次はどんなことするの?
友:同じような仕事かな
私:じゃあ(社会的な)お金も世間体も気にしなくて良くなったらどんなことしてみたい?
友:うーん。銭湯の掃除とか。銭湯が好きなんだよね。一生に一度くらいやってみたい。
私:今までしてた仕事の募集っていつでもたくさんあるよね。ってことは人手不足の時代いつでも就職出来る可能性が高い。でも銭湯の仕事調べたけどかなりハードワークだね。更に後継者不足みたい。
そこからいろいろ話して、今は大阪の友人たちと銭湯巡りをしているようだ。
どんな人生であれ、これは自分で選択するもの。
私に出会ってこんな会話をしたということは、後ろの人たちがそう言って欲しかったんだと思うよ。
応援されている。
展示会でご一緒して知り合った人(Eさんとする)がいる。
Eさんとは3回会ってしっかり話したのは2回目の時だった。
そこからずっとこの人はブレ続けている。
私からすると1人の人間の中に常に2人いる状態。
・社会的にプライドを持ち頑張って認められようとしている人
・やりたいことがあるのにもう1人に抑え込まれ思うように進めないと本音を言っている人
不思議なのが、これを1人の人間がずっと喋っているのに本人の耳にも入らず脳にも記憶されていないところ。
そして私とのセッションを受けていてもいまいち響いてもいない。
数週間後に話してみてもやっぱり理解してないという。
メッセージのやり取りの中でも説明したことなのに理解できていないからこそ言える言葉が見受けられた。
土台を作る前段階が出来ていない状態では何をプラスしても頭に入らないことがわかった。
要するに自分の容量を把握していないがためのキャパ越えによる影響です。
以上のことから
・仕事、結婚、引っ越し、習い事、予定をこなすこと、体調不良、その他
・マグロのように常に動いている状態が今は良いと考えていること
・その原因も自分で話しているが自覚はない
と知ることができた。
ふと私この状況見に覚えがあると気付いた。
過去2回ほど私もほぼEさんと同じ経験をしていた。
マグロのように動き回り、ひとつひとつが中途半端な出来と注意散漫状態で結局大切な物事を見過ごすことや聞き逃しも多くなった。
元々完璧主義の性格なので、容量オーバーが原因と気付いてからは少しずつやめて現在に至る。
たぶんEさんも今はそういう時期なのではないか。
セッションで更にプラスするのではなくて、マイナスが必要なのだ。
そして今の私もそうだと気付く。
このセッションすらも、多分もう今いる人以外やらない方がいい。
昨年京都の友人からとある風水師さんを紹介いただいた。
会話をしていたところ
「氣というものがあるでしょう。あれは命だから無闇に使い過ぎない方が良い。」
と言われた。
そこにはセッションも当てはまる。
私は今年、展示するためにたくさん作品を作らねばならない。
そこに命を使うために地球にいることは占いをせずとも確かなことなのだ。
15年以上、そう信じて行動している。
多分最後までこれは変わらない。
私はこれから他のことはマイナスしていくだろう。
収入も減るだろう。
それでもやるしかない。
私にはEさんにもそれが見える。
というか本人が話している内容からわかる。
(一緒に聞いてた人はわかってなさそうだった。興味なかっただけかな。)
答え、自分の口から出てるんだけどなぁ・・・・と毎回思っている。
でも私が答えを教えてはいけない。
自分で見つけるから意味がある。
私が渡せるのは道筋とヒントだけだ。
大丈夫。
みんな私の通ってきた道。
そんな生き方してきた私、いまも生きているから不安にならないで。
それぞれの生き方を探してみて。
すぐに出来ることなんて面白くないでしょう。
自分に期待し過ぎて絶望するのは疲れる。
ハードル下げてもう少しだけやってみて。
どうしても出来なかったら少し離れる期間を作って。
社会的に成功することだけが生きることではない。
何を誰と経験してどう感じて何を得てどう楽しんだのか。
それだけだ。
とにかくこの世界を楽しんで良い。
疲れたらゆっくり休んで。
私の周りは働き過ぎて精神が衰弱していく人が多い。
でもその衰弱していく原因の人や物事から離れるようにしてもらうと、結果的に元の姿に戻り今は何も困っていない。
それで困る状況になるのなら、別のところへ移動すれば良いだけだった。
同じところでグルグルして悩んで衰弱するのはぬるま湯に浸かって熱いぬるいと文句言ってるだけで、そのうち温度が少しずつ上がって最後には茹で上げられてしまう。
そうならないために、社会ではなく、自分のために命を使ってほしい。
「あなたのように好きなことがある人ばかりではない」と親戚に言われたこともある。
小さい頃からやりたいことを両親から反対・否定され却下され続けてきた人。
私の親もそういうところあったけど、これについて最終的に私が行き着いた答えは
「親もやったことなくて実はよくわかってないのに反対してる」ことが多いってこと。
ただのデータ予測で言っているだけで確信はない。
親の育て方により感情を抑え込まれた子供たちが大人になると、自分の中にEさんや私の元パートナーのように1人の人間の中に2人の人格を抱えてブレ続けることが判明した。
きっと専門家の方なら専門用語なり対処法があるんだろうけれど。
私は私なりの方法を知っている。とて、全員に使うわけでも効くわけでもないことも知ってる。
それは本人にとって必要な時にわかるものだから聞かれたらヒントを渡すだけで良い。
わからなかったらわからなかったで良いし、忘れてもいい。
どこかで点と点が繋がるのが一番いい。
社会的に生きるのは良いけど、それに重きを置いたときに感じるのは本物の豊かさではない。
豊かさとはそこから外れたところにある、自分だけが感じる美しく素敵で楽しいもの。
それを見つけられたとき命や人生に喜びを感じられます。
やってみてね。
社会不適合者の私からは以上です。