あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

迷える子羊を導くものたち




あおりんごはたまに占いをする。
自分もしてもらうし、することもある。

私は自己流ではあるけれど、カウンセリングした上で行うので方法としては制作とそう変わりない。
占いたいことも聞いていくと、どうも聞きたいこととは逸れてしまうけど結果的に解決することが多い。

人間が悩むことって大体もっと根っこの方に問題があるのに、本人は上の方ばかりに気が行っていて堂々巡りをしていることが多い。
複雑化させているのは自身なことにも気付いていない。
そこまで掘り下げて初めて一歩踏み出せる。

占いをしていると、その後の話を聞くことも多い。
話を聞いていると、悩んでいる人たちってほんのちょっとの後押しが欲しいのだ。
「これで合ってるのかな、でも、、、」と一歩が踏み出せないでいるから。
占い結果によってそれがなくなり、次のステージへ足を進められる。

ビフォア&アフターのお顔が違うもんね。
パッと明るくなっておしゃべりに拍車がかかって未来に進むべく力強くエンジンがかかる。
私が関わる目の前の人たちがどんどん好転していくのは見ていて気持ちが良い。

一方、占う方は毎度何かをもらっちゃうようで、占った後はどんより頭痛が起こったり、精神的にやられることもある。
先日も占いで何とかいい方向に占えたらしくて、お相手の涙を見た。
ホッとしたような癒しの涙。
お相手「心がスッと軽くなったよ、ありがとう!」と晴々としている。
私「それは何よりだよ〜」頭ズーン。

せっかく晴々しているのに心配をかけるのも違うので、笑顔でお別れ。
その後とにかく座って休める場所を探していると花屋さんが目に入る。
緑だ!葉っぱだ!助けて〜と藁をも掴む気持ちで葉っぱの生い茂る枝物を一本購入する。
枝を途中で切ってもらう。

何とか近くのカフェを探し出し、着席してハーブティーを注文。
※何も考えずにハーブティー頼んだけど写真のようにグリーン、偶然なのか自分もこの日の洋服がグリーンだった。
さっき切ってもらった枝を簪のようにさす。
これもグリーン。
どうにもならないので頭痛薬も少なめにして飲んでみた。

頭痛薬が効いたのもあるかもしれない。
でも明らかにさっきの重たい感じは薄れ、心地良くなり、最後にはスッと上に消え去っていく感覚があった。
頭痛薬だけだとこの心地良さと上へ消える感覚はあんまりない気がするな。

周りの人たちが幸せな気持ちになっていくのはいいことだ。
反面、自分が「私もこんな風に癒してくれる人がいたらいいのに」と落ち込むことがある。
でも今のところそうやって葉っぱだったり、周りの見えない人たちが癒してくれるのでもうちょっと気を強く持ってもいいのかな。
それに自分の機嫌を取れるのも、自分を癒せるのも結局自分自身だ。

パートナーも癒してはくれるけれど、まだ頼ることが出来ない。
私は自分の足で立てるようになりたい。

私は多分だけど「生きる気力」をよく感じられる方なんだと思う。
気が迷っていたり、人生を諦めかけている人たちが見える。
だからそういう人たちにだけ声をかけて、占いをするにしてもしないにしても気持ちを持ち上げられるようにしていくことが出来るのだ。

これって、一見私の力に見えるでしょう。
しかし実は
“お相手の見えない周りの人たちが私の見えない周りの人たちと話し合った上で、私の口を通して相手を導く“
ということをしているだけだ。
それ以外に特に意味はないと私は感じている。

そもそもこの人生はアトラクションなのだから、何もかも楽しんだもの勝ち。
悩んだり、選択に迷ったりすることだって実はとても贅沢な体験だったりする。
私はそんな一人一人の物語をカウンセリングで見せてもらってから占いをして、私の口を通した言葉によって相手が自身の存在に気付き、自身の幸せに向けて歩んでいく行程まで見せてもらえるのはとても喜ばしいことだ。

そんな私を誰かが見ていてくれているのか。
この占いの翌日に不思議な夢を見た。
「後○万円しかないなぁ。どうしよ」と通帳とにらめっこをしていると、急に一桁増えて驚くという夢。
たぶん、その占いによってそれだけの“徳を積めた“ってことなのかな。と感じた。
私がやったことという実感はないけど、これは良いことみたい。

迷える子羊たちは得てして現世の記憶しかないから人生一周目だと思ってるし、初めてのことばかりだから幾つになっても不安で背中押して欲しいんだなーとしみじみ。
たぶん人生何周しててもそう思って生きちゃう。
それが成長ってものなんだろうな。

答えは全て自分の中にある。
複雑化したいろんなものに埋もれて見えなくなっちゃうけど、それを引き出して見つけてみてね。