あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

銀河鉄道の夜 考察

珍しく連投です。

 

興味はあるのに一度も最後まで読めたことがない小説のひとつ。

宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜

本当に何度も挑戦したのですが、最後まで読み終えられた試しがない。

何故か読めなかった。

 

今回はやっと読破出来た記念に、私の独断と偏見、感性と視点から考察してみます。

以下の順で目を通していきます。

・アニメーション映画DVD

・原作の小説(毎年夏休み前から出る読書感想文向けのもの)

・漫画(アニメーション映画の原案も手がけたますむらひろしさんの作品)

 

まず何故読んだこともないのに興味ある物語なのか。

それは幼き頃に観たアニメーション映画「銀河鉄道の夜」に衝撃を受けたからです。

その衝撃が何なのか、何十年も不明なまま、モヤモヤとした不動の衝撃が心の中に留まっていました。

もちろん幼い頃は語彙力がないので表現出来なかったこともあると思います。

しかしそれだけではない何かが確実にあったからこそ長いこと気になっていたのです。

その衝撃を受けたアニメーション映画「銀河鉄道の夜」のDVDがコチラ。

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「なんだ猫じゃん。そりゃ衝撃だわ」そんな声が聞こえて来そうです。

でも衝撃を受けたのはそこじゃない。

ついに手に入れたDVDで、大人になった自分をもって再確認を試みる。

 

あれ?また幼い頃と同じ感覚でモヤモヤする。

でも中々言葉に表すことが出来ない。

観た後にぼんやりとしながらも自分の感じたものを狂ったように書き出す。

 

続いて、家にあった何冊目なのかわからないくらい買っては読めなかった原作小説と、アニメーション映画原案も手がけたますむらひろしさんの漫画の2冊を持ってカフェで読んでみることに。
※場所を変えないと読めない気がして。

※硬めのプリンがとても好き。

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先ずは小説。

この小説は、夏休みによく出るカバーデザインだけが毎年変わるものです。

読書感想文向けの本のひとつと言うところでしょうか。

内容はアニメーション映画とほぼ同じなので、初めて最後まで通して読むことが出来ました。

 

次は漫画。

ますむらひろしさんの描く漫画の世界はもともと宮沢賢治さんに影響を受けたものが多いと、彼の他の作品の中に書いてあったと思います。
実は私、この作家さんの「アタゴオル」という作品の大ファンなのです。
もしかしたら小さい頃に観たアニメーションの銀河鉄道の夜に影響されていたのかもしれないですね。
それはさておき、そんな宮沢賢治さんのコアファン漫画家が描いたものには、先程の小説では省かれていた ブルカニロ博士 の実験の話が収録されていました。
調べてみたところ、これは宮沢賢治さんが死を目前に省いたと言われています。

 

さて、ここからはアニメーション映画、原作小説、漫画、の三作品を初めて最後まで観て読んだ私の感想メモの記録。

 

【キーワード】

・孤独

・自己犠牲

・本当の幸せ

人生は列車に乗って進んでいるようなもの。
出発点はこの世に生を受けたところで、終点は死とする。
人はそれぞれ違う駅から乗って来たり、同じ駅で乗り換えたり、違う駅へ降りたりするもの。
なので今現在そばにいる人たちは、たまたま偶然同じ電車で空間や時間を共有するタイミングが重なっただけであり、またそれぞれ別の列車へ乗り換えることや降りる事がある。
それは進むべき方向の転換、死ぬ原因や理由、信仰が違う為でもある。

たくさんのことを学び考え続けないといけない。
それは「本当のことだ」と言えるだけの自信と根拠、信念のため。
その学びは一種類だけでなく、多くの分野を研究しなければならない。
それは別々のものだと思っていたものが、いつしか点と点が結びつき線となる可能性があるからだ。
いろんな分野で学び、様々な視点を持つことにより見えなかった答えに辿り着く事ができる。
1人でいることは孤独だと思うかもしれない。
でも最後は魂だけが真っ黒な時が止まった世界へ行くことになる。
肉体と思考を持ち、学べる時間がある今は、五感をフルに使い考え生き抜くことが大切。
人はそのために生きているし、歌い、祈っている。
自分が幸せでないと、人を幸せにするキャパシティが生まれない。
自己犠牲は美しく見えるが、された本人たちは本当に幸せだと感じるだろうか。
自己満足にならぬように、意見を聞きながら寄り添う方が良い。
生きるのは大変だ。
死ぬのも大変だ。
私に今できることは、私がこの世から去った後もずっと問いかけ考えるきっかけになる作品を作り続けることだ。
そして亡くなった人を思い出すこと。
これはグリム童話「青い鳥」の中の一部からだけど、亡くなった人たちは時の止まった空間にいて、生きている人たちに思い出してもらった時だけ時間が動く。みたいな表現があったと思う。
そうすることで、目に見える形にはならないけれど、またその人たちの時間を動かし「生きている証」を再確認する事ができる。

「時間は神様だ」という言葉をどこかで見かけた。
神様も時間も人が作り出したもので、動物や植物、宇宙にだって関係ない。
本当に人の都合により作り出されたものだ。
そして神様にも種類があると思う。
各国の創造神、人や物などの神。
どうやら各国に神様がたくさんいるらしい。
でも「本当の神は1人だ!」と信仰の相違により戦争をしている人たちもいる。
八百万の神を信じている日本人からすると不思議でならない。
全部神でいいし、いればいるほど有難いけど、それじゃダメ?
しかし昔の偉人が神として奉られているのは、昔から不思議だった。
なんたって自分と同じ人間だったのに、死んだら神様になるなんて。
これは原作にも出てきた蠍座のお話にも通じるものがある。
あのお話はギリシャ神話のことだったのだろうか。
物の神は付喪神と言われていて私は好き。
民俗学の先生が言っていた「日本人は昔から海に漂流していた流木や石ですら有難がって祈る対象として祭り上げる民族です」という言葉が思い浮かぶ。
他の民族から見たら不思議だろうけど、私は「なんて愛らしい民族なんだ」と思った。

 

ここからは制作をしているときにハッと気づいたことメモ。

 

ブルカニロ博士の実験を省いたことがずっと気になっていた。
全体を読んだからこそわかるけど、宮沢賢治さんが本当に表現したかったことはブルカニロ博士の実験のことだと思った。
だけど、死を目前に省いたことについて。

一考目:読む人にこの考えを押し付けたくなくなったのかな。それが彼のたどり着いた表現者としての誰かの幸せなんじゃないか。
二考目:博士の話は作家が本当に表現したかった世界観だけど、最終的にそれを省いて残ったものは大衆向けにデザインした世界。だから今も残っている。
三考目:大衆向けの小説を作っておいて、もっと深く知りたくなった人にだけ本当に表現したかったことまで辿り着くように出来ている。これは宮沢賢治さんの策略だったのかもしれない。

いやまさかね。
いやいやいや。
まさか。

を繰り返しました。
このくらい頭の回る人ならやりかねない。

以上です。
プリン美味しかった。