あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

それってあなたの感覚ですよね?の巻

先日、美大の先生と久しぶりに会ったあおりんご。
昔こんな話を聞いたことを思い出しました。

【 美術と芸術の違い 】

先生:美術と芸術って違うんだよ
私:へー!その心は
先生:美術は技術が詰まった作品で芸術は創造された作品

飲みの席で何人か作家さんがいての会話だったので、話した本人は全く覚えていませんでした。
私はお酒は飲まないし、その話には衝撃を受けたので今でも覚えています。

後から何度も何度も考えては、完全に理解は出来ないながらも納得したり、再考したりを繰り返している言葉です。

● デザイン
特に技術が詰まった作品が多いと思います。
それはその方への腕を見込んだ依頼人やお客様在りきの作品を作る人のこと。
テレビCMや広告、民芸品など、誰かの意に沿うものを作る職人

● 作家
本来当人だけにしか感じることが出来ないものを具現化している。
見たことのないもの、現存しないものを、自分の感覚というフィルターを通して作り上げます。

【 考察 】

デザイン:1+1=2
この世に既にあるものを組み合わせている。

作家:0→1
この世になかったものを新たに作り出す。

私は世の中的には両方とも必要であり、不必要でもあると思っています。
あってもなくても良いんだけど、あったら鑑賞者に何か影響があるかもしれない、人によっては全く何とも思わない、そういうものかなって。
でも作り出された全ての作品により心が動かされた誰かの人生が、その作品を知る前よりも豊かになるものだと信じています。

【 生まれて初めて自分と他人の感覚の差を知覚したとき 】

私は小さい頃から食べ物に対してのアレルギーがあります。
ある食べ物を食べると口内にジワジワと微量の刺激が広がり、少し腫れます。
これは遺伝的なアレルギーだったのかもしれませんが、祖母や母親に口内の不快感を伝えたところ「私もなるよ」との答えでした。
今振り返れば、私は聞く人を間違えたのだと思います。
それを聞いた私は「なるほど!全人類がこの口内の不快感を我慢してこの食べ物を食べているのだ」と考え、不快感は仕方ないと割り切り、大好きな味のアレルギーの原因の食べ物をそのまま食べ続けました。
※不快感を感じるため食べる量は少なかったと思います。

そして時も変わって20代も終わる頃。
友人たちとカフェへ行きました。
私は"味が一番大好きだけど一番アレルギー症状が色濃く出る食べ物"を大量に使用したケーキを注文。
実際この量をひとりで食べることは初めてでした。
味はとっても美味しかったのですが、帰る頃には口内に大きな違和感。
とはいえ、あの食べ物を食べての違和感なんていつものこと♪と軽く考える愚かなあおりんご。

翌朝、頬の内側に歯型がついていることに気が付きます。
外見ではわからないけど口内だけがモリッと腫れて歯型がついていたのです。
鏡の前に行き、恐る恐る唇をめくって見てみると血の色が見えました。
驚いたものの血の味はしない。ということは、皮の内側だけで血管が破裂して内出血を起こしていることがわかります。

急いで総合病院で診てもらったところ、医師からこう告げられました。
「アレルギー症状なので、もうその食べ物は二度と口にしないでください。今回は口内が腫れる程度で済みましたが、アレルギー症状が気道にまで出てしまうと息も出来なくなり、救急車で運ばれ、最悪死に至ります。それくらい危険なものですからご注意ください。」

私はそれほど危険なものだとは知らずに、大分長いこと我慢して食べて生きていたことを知りました。
「全人類がこの口内の不快感を我慢してこの食べ物を食べているのだ」と思っていた私にとってはかなり衝撃的な事実。
ここで私は遅ればせながらやっと、自分と他人は体質も違えば感覚も全く違うのだと生まれて初めて理解しました。

【 完全な感覚の共有は出来ない 】

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1つの作品を鑑賞するにしてもそうですが、視点や感覚は人それぞれです。
不思議なことに、同じ画像を見て、Aさんは猫の足跡だと思っていても、Bさんには別のものに見えている可能性があるのです。
マトリックスじゃないけど「これは本当に猫の足跡なのか?」と考えてみたり、2、3歳くらいの小さい子に聞いてみても面白い答えが聞けるかもしれませんね。

感覚ではないのですが、これに似てるなと思ったのが私が眠っているときにみた夢です。
夢の中で私は「Aさん」という人物に呼びかけていました。
でも目覚めてからよく考えると「Aさん」と呼んでいた人物が、実は外見がBさんで、私はCさんと思い込んで話しかけていたのです。
現実世界での3人はそれぞれ個別の人物なのに、私の夢の中ではひとつにまとまっていた。
起きてから考えても、自分の夢ながらとても混乱して面白かったことを覚えています。

人はそれぞれ個別の感覚を持っているので、私が目にしている世界と誰かが目にしている世界は全く別物かもしれないのです。
でもそれを正確に確認する術はない。
「君の名は」みたいに中身だけが入れ替わったとしても、その身体を持つ本来の人物と全く同じように感じることは多分難しいんじゃないかな。
感覚というものは、身体と脳と魂が感じたものを総合したものだから。

自分の感覚すら変化することもある。
細胞は常に生まれ変わっており、人間は生物学的に7年毎に全ての細胞が違うものになっているはずなのだそう。
そうなると7年前の私と現在の私では考え方も感覚すらも違うということになる。

【脳の動きと感覚差】

脳の働きも興味深い。
右脳は左半身を、左脳は右半身を支配している。
右脳のみ:時間の感覚もなくなり自分を個だと認識することも出来なくなり空間のもの全てが一体になったように感じる。
左脳のみ:自他を区別してるから個(自分)だと認識できるようだ。

そう考えると、アレなお薬や麻酔を摂取したときに起こる幻覚作用についても、左脳の動きを止めて右脳の動きを活発にさせるものだとわかる。

新世紀エヴァンゲリヲン」でもそうだったけど一体化願望のような言葉が何度も出てくるし、障害のある方からも一体化願望を何度か聞いた事がある。
今思うと、これは脳の影響だったのかもしれない。
一方、私は一体化というのは望んだことも実感したこともないから偏りはあってもバランスは保ってる方なんだろうな。

今度、右半身を封印して左半身だけで生活してみようかな。
相当負担な気もするけど面白そう。



このブログの内容すら、誰かから見たら私の意図しない意味に捉えていたり、同じ話題でも全く違う意見が出るのだろうな。
感覚差って個性とも取れるけど、本当に不思議で面白い。
この世は知らないことだらけ。

タイトルは皆さんご存知、ひろゆきさんのお言葉「それってあなたの感想ですよね」を捩りました。