あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

推し活3連続!生きてる?息してる?大興奮の一週間



先週は推し活3連続につき、自分が息してるか不安になりました。
BTS exhibition

・リアル推しからの連絡

・大ファンの漫画家さんのサイン会初参加




BTS exhibition】

行きました?
見ました?
あり得ない大きさの推しが拝めますよね。
お顔のつくりをじーっと観察してしまいます。
利き目により、どちらかが二重でどちらかが一重のメンバーが多い中、ナムさんとジミンちゃんはどちらも特徴のある一重で、それも個性が出ていて素敵でしたね。
チェキの展示もあったり、あのMVの場面に使われたアレとかもね。
個人的に一番印象的だったのは、モナリザ並みにメンバーそれぞれと目が合っちゃう展示でしたね。
目が合った途端に気の抜けた声を出したのはあおりんごです。
ARMYの皆さんはそれぞれ息を呑んで静かに大好きなメンバーを見つめられていました。
グッズもありましたが、お土産という感じです。

【リアル推しからの連絡】

展示にも足を運んでいただいた美大の先輩から連絡がありました。
私は学生時代から先輩のファンなのです。
まさか連絡くれるとは思いませんでした。
映画を観たという私に、最近観たおすすめの映画「アフターヤン」を教えてくれました。

上映している映画館は限られていましたが、翌日その映画館近辺で用事があったので予約して観てきました。
私には合わなかったのですが、先輩はこの映画のどこに惹かれたのか聞いてみたいと思います。

【サイン会】

遠方にお住まいの作家さんなのですが、小さい頃から作風が大好きで今でもたまにこの方の作品から影響を受けたものを作っていると自分でも感じるほど大好きです。
整理券をゲットするため、朝早くから準備をして出かけました。
整理券はなんと、ギリギリ一桁台!
サイン会では初めてお会いしました。
モジャモジャでユニークな方でした。
私の大好きな作家の作品を持っていき、サインしてもらい満足でした。
これからも作品を読み考え続けていきたい。

【↑の影響による体調の変化】

あまりにも興奮し過ぎて眠れぬ日々のおかげで吹き出物と口内炎が同じ場所に出来ました。
医者に診てもらわずともこれは不摂生が原因での体調不良サインだとわかります。
そういえばここ半年ほど薬膳を意識してなかった気がする。
精神は安定してきたのだから、身体も大切にせねば。
そう思い立ち、一晩水で戻した小豆をコトコト煮出した最初の透明度の高い煮汁を飲んで、体内の“湿“を体外に出すようにしています。
煮込んだ小豆自体もホクホクでこれまた美味しい。
濃い色のものは鉄分が多いのも良いです。
胡麻も栄養価高いし、しらたまを作って小豆と一緒に食べても美味しい。

【映画について】

お薦めされた映画を観て。
私は正直に「自分には合わない」と思いました。
原因は、自分が色んな国の文化について興味を持って調べ知見を深めてきたから、背景や内情を知っているとどうしてもそれについてのリスペクトが低い作品を観ると違和感を感じて、素直に作品を受け入れることが出来なくなってしまうからでした。
私は文学を深めることが好みなタイプのオタクなのです。
監督のこの映画について言いたいことはわかります。
叔母とこの映画について話していたら「まぁそういう適当な映画もあるよね」と言ったところでした。
ジャンル問わず作品制作においてもそうだけど、ある程度の適当さは必要だと私も思う。
だけど、それにしても、矛盾している点が目立つ。

どうして韓国人に中国人の役を配したのか。
その歴史的背景やリスペクトがあれば、もう少し違った方法があったのではないか。
私たち日本人だって西洋人からしたら見分けがつかず「中国人?」と言われることもある。
台湾人だって歴史的背景からしても現在でも「中国人?」と聞かれたら複雑な気持ちになる。
中国人と聞かれるのが悪いと言っているわけではなくて、西洋からすればアジアで一番大きくて色んな意味でわかりやすいのは「China」なだけなのだとわかっていても、それぞれの人にとっての背景に対する配慮があれば、話しているうちに「どこの国から来たのか」を自然と話すことができるはずなのに、最初から決めつけている点に疑問を感じるのだ。
誰にだって間違いはある。
だけど、背景も知った上での配慮と、背景を学ぼうとせずにする言動とではあまりにも差があるし、失礼で無神経なことだとは思いませんか。
だから世界史や歴史を学ぶことが大切なのだとまた改めて思いました。

この映画を観た後に、カフェで内容を振り返ったり、考えをまとめてみました。
そこで「色んな家族、色んな愛の形についての考え」に辿り着きました。
私の家族の中には血の繋がっていない方がひとりいました。
けれども私がその人を家族ではないと思ったことはありませんし、知ってからも家族だと思っていました。
そして更に気付いたのです。
その人が亡くなった年、私は25歳。
そう、以前にもブログに書いた“80歳までの人生プラン“を考えた時期と重なったのです。
そして近年でも、私の家族が亡くなりました。
その年に私は“目を瞑っていて見えるものが存在する“と確信する出来事が多く起きるようになったのです。
皆が私が生まれる前に計画してきたことを思い出せるように、気付かせるようにしてくれていることがわかりました。

それに今に始まったことではありませんが、飼っている動物は家族同然ではないですか。
というか当然のように家族として扱っているかと思います。
血は繋がっていますか。
種類が違うのに、そんなことありませんよね。
血液については、遺伝という設計図の意味はあるかもしれませんが、家族かそうでないかということについては意味をなさないものに思えます。

監督が言いたいことを抽出し、更に自分がもしも監督ならばどう構成するかを考えてみることも面白かったです。

「合わない」「苦手」「嫌い」と言うのは簡単です。
それを分析したり、考えて、どうやって自分のものとして消化するのか。
私にはこの方法が最近合っているように思うのです。

私にはこの映画は合いませんでしたが、ここまで思考を巡らせられたのは監督の思い通りというところなのです。

お題「ゆっくり見たい映画」