あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

私は自分を認識できているか

ふと、動物は自分を自覚することがあるんだろうかと思いました。
そして人間はいつどうやって人間だと自覚したのでしょう。

縄文時代には鏡はなかったはず。
水面に映った自分を見て、自分の姿形を自覚できたのでしょうか。
人間は他人を通して、自分を自覚できるのかしら。

私は自分の顔も他人の顔もすぐ忘れてしまうので、縄文時代に生きていても自分の外見を自覚することはほぼなかったというか興味もないまま生を終える気がします。

そうなると人はどうして動物と自分は違うと思えたのでしょう。
毛の有無?
大きさ?
不思議です。

周りに人間がたくさんいて、目に見える手足が同じ本数あって、同じ形で、皆が同じように動いているのなら、自分も同じように動けると気がつけます。
でももし、ターザンみたいに周りに同じ形の人間がいなくて、一人ぼっちで生きていたら?
私は何をもって人間だと自覚できるのでしょう。
ターザンは幸いなことに、同じような形の生物が周りにいたから猿のような動きが出来たんじゃないでしょうか。
もしそれが、虫しか存在しない砂漠のような場所だったら虫の真似をして生きた?

誰とも比較せず、交流せず、ひとりぼっちの人間の形をした生き物が砂漠にいたら。

でも、一から生きるには世話をしてくれる者が必要だし、飲食もしないといけない。
中々現実的ではないですね。

動物は鏡で自分を見るとまず「危険な生き物」と威嚇するのだそう。
同族嫌悪とはこのことか。とも思ったところ。

私はいつから私だったのかな。
もう少し考えてみよう。

今週のお題「SFといえば」