あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

不思議と見えるもの

最近、目を閉じないと見えないものがあるようだと気付いたあおりんご。
気付いたというか、自覚したというか。

【 寝ている間に夢に見るもの 】
・窓を抜けて宇宙へ行く。
・ご先祖さまたちや亡くなった動物が国を超えて夢に出てくる。
・何種類もの妖精が出てくる。
(思ってたのと違って皆無表情で、お互い関わらない姿勢)
※他にもあったはずだけど覚えてない。

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【 目を閉じると見えるもの 】
・その場のエネルギーの色と形とその動き。
・神社の小さなお社にいた小さい龍(無表情だけど妖精より感情はありそう)
・ある音を耳にすると背中や首の後ろに違和感。
・だけど朝起きると身体の末端まで暖かい。
(通常は末端冷え性寝ても覚めても手足冷たいのに)

画像は感情と体感温度の図。
身体の隅々まで暖かいのは心身ともに幸せな状態ということらしい。
感情が強い時に“頭を冷やせ“と言うのはこういう状態から脱することなのだと納得できる。

美大時代にも私とは学科違うけど、人のオーラの色が見える子とか、人間じゃないものが見える子もいたな。と思い出した。


目を閉じて「見える」というのも不思議なことです。
でも何故か見えるので脳がイメージしているのか、それともクジラやイルカ、コウモリみたいに超音波みたいなものによって見えているのか。
しかしこれが目を開けると、何にも感じないし厳しい現実しか見えない。

アレルギーもそうだったけど、感覚って共有できないから自覚するのは難しい。
自分のエネルギーはごちゃごちゃしててよく見えない。
私はスッキリした静かな場所でのみ見えるみたい。
自分の集中力の問題かな。

【 目を開けて見えるもの 】
BTSの音楽、和訳歌詞、会話、ダンス
・美術館で作品鑑賞
・人の考えや生き方や言葉
それぞれに私の愛が止まらないことが多くなった。
特に上記のものに関しては「好き!」が溢れると涙出そうになって言葉に詰まる。
元々オタク気質ではあるけれど、感受性が高まっているのはわかる。

仕事を辞めて、個人事業主となり、自分の時間が自由に取れるようになってからというもの、考えることも増え、素直に自分の感覚も受け入れられるようになって来た。
ブログを文字で書いてるのになんだけど、言葉に出来なくなるほど心が動く機会もとても増えたように思う。

先日、美大時代の友人とそんな話をしていたら
「あおりんごが素直に感動できるのは、心にそういうものを入れる空間というか余白があるからじゃないかな。忙しいと中々感動出来ないからね」と言われた。
流石良いこと言う〜!
確かに自分のことで精一杯なほど忙しく走り回って勉強したり働いていた時は何かを目にしても感動することなく過ぎ去っていたかも。
少なくとも、人にも作品に対しても奥深さを感じて心が揺れることはなかったな。
余白やバランスって大切。

今週のお題「試験の思い出」