あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

親友を作らない理由

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私は"親友"を作らない。
中学時代に親しいと思っていた人に「あなたは親友じゃないし、私には別に親友がいる」と言われたことがあるから。
それから人付き合いに関しては特に「勘違いしてはいけない」と思うようになった。

それでも私は友人に恵まれた。
幼馴染、中高の同級生、塾の先輩、大学の学科も学年も違う友人、偶然が重なって地方で知り合った外国の友人、昔の職場の同僚、海外のパーティーで出会った友人、元恋人(外国の人)の大学の同級生。
それぞれひとりずつ、住んでいる場所も年齢もバラバラで家庭も恋人もあって幸せそうだ。

そして私が友人たちに何を言おうと何をしようと、皆なーんにも気にしないし、何故か思いやり溢れる対応してくれる。
それを1つ1つ書こうとしたけど、私の宝物なので心の中にだけ置いておくことにしました。
本当に大好きな人たち。
それでも親友と呼べない私。
そこで私はもう関係に名前をつけるのをやめました。
やめたら、いつも新鮮な関係に感じるのでこれはこれで良いですね。
中学のときに冒頭のセリフを言われなかったら、関係に名前をつけることにとらわれていたかもしれません。
人間関係の本質はそこじゃないですよね。

銀河鉄道の夜の考察にも書いたこと。
人間関係ってたまたま偶然同じ電車に乗り合わせた様なもので、それぞれ乗り降りする駅も違うから、一緒にいるときや連絡を取っているときは偶然同じ電車の同じ車両に乗っているってだけなんだ。
別々の電車に乗ってもたまに友人のことを思っているなら、見えない何かで繋がっている証。
それは大切に胸にしまっておいて、たまに取り出して眺めてはじんわり温かい気持ちになるもの。

愛って、友情って、なんだろう?って考えることもあるけど。
結局「一緒にいるだけで幸せ、一緒にいなくても幸せ」ってところへ行きつく。

星の王子さまの考察でも書いたこと。
何かを見ると誰かを思い出したり、記念日が近いから友人への贈り物を考えたり、そういう思考や行動も繋がっている。

名前のない関係でも、私にとっては大切な人たち。
一緒にいなくても、私の好きな人たちが皆が幸せだと嬉しい。
それぞれ別々の道を歩んでいても、人生の一部を共有できて感謝してる。

そういえば、数年ぶりに昔の職場の先輩から連絡があった。
あまり良い関係を築けなかったため、用事がない限りお互い連絡はしなかった。
その日も先輩は用事があって連絡をしてきた様子だった。
用事が終わってからも私についてしつこく何度も質問してきた。
また噂話のタネにでもしたいのかな?と引いていたけど、実はこの先輩は私の通っていた美大の先輩でもある。ということは先輩もまたものづくりしたいのかな?と考えたら、あんまり気にせず自分の今の仕事について話せる様になった。

皆したいことをしたら良いよ。
出来ないと思い込んでいるのは自分だけなんだから。
我を忘れて集中できることが出来ることがあると人生はとても楽しいよ。

お題「わたしの宝物」