あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

美術から考察する愛

とあるドラマのセリフで「(自分は生きているのに亡くなった)妻と一緒に墓に入ろうと思った。それもダメだったから骨を食べたいと思った。それも親族に止められた」というものがあった。
それを見た時「え、分骨とか、ダイヤモンド作るとか出来るのに食べたらダメなの?」と疑問に思った。
でも普通に考えても飲んだところでほとんど出ちゃうからどうなのかしら。
カルシウムにはなるのかな。
ただ「一緒にいたい」という想いは伝わる言い方だったと思う。
それが彼の愛の形なのか。

愛ってなんだろう。
ふと考えてみた。

シャガールは妻に一途でしたね。

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クリムトは、好色おじさんだし。


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ゴッホ?はゴーギャンへの友愛としても、執着に近い。


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執着は、愛というかエゴかな。と思います。
「骨を食べたい」というのも、中々の執着だとも感じるのです。

エヴァンゲリオンでも「私とひとつになりたい?体も心もひとつになりたい?」というセリフ
や、地球上の生命をひとつにしようとする等、そういう場面が多く出てきたように思います。


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これはつまり男性に多い思考方法なんでしょうか。
でも私にはどれも愛とは思えない。

愛ってなんだろう。

そういえば友人の子供に会って来ました。
産まれて8ヶ月だそうです。
この両親の溺愛っぷりや相変わらずの心配性については執着ではなく無償の愛に感じます。

私はBTSが好きなのですが、BTSは音楽や活動を通じてARMYへ思考力や幸せを届けてくれる彼らには、プライベートではARMYとは別の心の拠り所になる存在がいてほしいと思うし、一生を幸せに生きていてほしいと思います。
それもある種の愛なのかな。

そうだな。
愛って欲が抜けたものなのかもしれない。
なんというか、祈りに似ている。

そういえば、星の王子さまは何故あんなに花が気になっていたのかな。
うっかりそこを考察し忘れていました。
一番考察されてるからいいかと思った節もありますが、一番重要な部分でしたね。
最初は花が突然星にやってきて咲いて王子さまにアレコレ言いつけて色々良い待遇をしてもらうような一方的な関係だったのに、お別れの時になってやっと対等の位置になるんですよね。
そして一通り旅をして、また星へ戻った王子さまは再び花の世話をするのでしょう。
その時にはまた別の新しい関係になる気がします。

お花のことについてはあまりにも興味がなくて素通りしてました。
でも、これが愛なのかというと考えてしまいます。
そこにはやっぱり絆はあるだろうけど、愛なのか。
王子さまは花が亡くなったら食べたいと思うだろうか?
思わなさそう。
でもお花が亡くなっても、その存在は一生忘れないと思います。
そこは愛かもしれません。

 

ちなみに赤蕪の酢漬けは家族に大好評で、こんなに大きかったのに全て使い切りました。

箸休めに良いです。

 

aor1ngo.hateblo.jp



実態のないものを文章にすることは難しい。
人間の感覚なんて人それぞれだから、感じる愛の形も皆違う。
でもこうやって考えてみると、愛というものは欲のないもので、時々ふと思い出してはそんな過去の温かい記憶の存在に感謝をして祈ることなのかな、と思います。
なんたって過去があるおかげで現在の自分が存在しているのですから。
過去に関わった人とのたった少し交わした会話すら自分の糧となっています。
私は他人とひとつになりたいなんて思わないけれど、過去の色んな人との経験や絆は撚り糸のように確実に現在の自分に繋がっている。
ということは、愛ってそれぞれの人間が親から始まって色んな人から沢山の愛を受け取って生きている今の自分自身それぞれのことなんじゃないか。
あら。
そういうこと?