あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

脳みそとキャッチボール

友人とイベントへ行ったあおりんご。
私の周りは外見も中身も美しく、社会での一般的な感覚を持った超優秀な人たちが多いです。
嬉しいながらも「なぜ私と友人を続けているのか?」とたまに不思議に思います。

私の話を友人たちは大体受け入れてくれるけど、それについて掘り下げた会話は出来ないところにたどり着くと「あっこれは違う、この話はやめよう」となる。
会話のキャッチボールをするには、お互いの会話の位置調整をしないといけません。

会話のキャッチボールが続く人と続かない人に対して、私の感覚はどう違うのか考えてみました。
ラリー系:知識が幅広く、バランスよくお互いに合わせることも出来、情報交換可能、スッキリ楽しい
ボールを見失う系:知識はあっても、個人の興味のある話題にしか反応しないのでラリーは不可能、片方がひたすら相手の反応を見ながら興味に合わせて話題を探しボールを投げている状態

会話のキャッチボールが出来ない人については、それぞれ状況が違うと思います。
私自身人間になりきれているわけではないので優秀な友人たちのようにいつもうまくキャッチボールが出来るわけではないけれど、ラリーが続かない場合の相手のストレスは理解できます。
だから気付いたら話題を変えたりと軌道修正するよう心がけているのです。

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人がストレスを感じることは個々の感覚によっても違うと思います。
けれど、日常生活の小さなストレスというものは塵も積もれば山となりいつか爆発する可能性があります。
地方でスマートフォンやPCを使おうとしたら、電波がうまく届かず切れ切れに繋がる状態。
それが日常生活で度々起こるとしたら、どうでしょうか。
しかし、それもよくよく観察すると何が原因なのかが見えてきます。

以下は私の体験談です。
【先天的】高次脳機能障害
ASDADHDの友人:会話はよく途切れ、話題も飛び飛びになりがちです。本人的には全て関連性があったりするのですが、脳内で行った情報処理の過程を一切口にしないことから急に話題が飛んだと思われることが多いです。
【後天的】高次脳機能障害
とあるお店の店長:交通事故により脳に損傷があったようで3年前後の記憶がすっぽりなくなったようで、会っても誰だかわからない、というような反応で少し寂しかったです。
私の昔の職場の同僚:何の前兆もなく突然くも膜下出血で倒れた時にお見舞いに行くと脳に損傷があったようで一時的(一年ほど)ではありますが1分前後の会話を記憶できなくなっていました。
今は亡き祖母:認知症も上記と全く同じような症状がずっと続いていました。
【脳とは別の状況】
親戚の子供:2歳の子供と今年生まれたばかりの0歳の赤ちゃんの姉妹。もちろん2歳の子供を優先的に可愛がるも、0歳の赤ちゃんがぐずると2歳の子と遊んでいた手をどうしても止めなければならない状況になる。そんな時も2歳の子供が我慢しているのもわかるので切ない気持ちになります。

このように今までスムーズに行ってたことが思わぬところで「うっ」と止まる状態がまさに小さなストレス。
特に後天的なものは私もいつ起こるかわからない症状です。
なるべく自分の周りには小さなストレスを与えない会話をしたいところですが、明日は我が身。とはいえ出来ることといえば日頃の身体ケアと周りへの配慮くらいでしょうか。
先天的、後天的な脳の障害にしても、子供の我慢にしても、誰にも罪はありません
でもそれぞれ自分の意識とは違うところで困っていると聞いたことがあります。
身体が勝手に動いて、また別のところで心が困っているという状態なのでしょうか。

キャッチボールというものは、投げられたボールを一回自分の手で受け止めてから相手に向けて同じように投げ返すものですよね。
会話も同じです。
障害が表れたとしても出来るだけ相手の気持ちを汲み、不安にならないようにしたいです。

【小学生の頃の回想】

思い出してみると私が小学生の頃、先天的脳機能障害を持った同級生が周りに4人ほどいました。
類は友を呼ぶという言葉もあるし今のところそう言った診断や自覚症状はないのですが、もしかしたら私もそういった障害を持っているのかもしれません。
それに私が小さい頃には障害についての知識や名前がなかったように思います。
あってもそれほど広まっていなかったんじゃないかな。

休み時間といえば、同級生の半数以上が校庭で元気に駆け回って遊んでいる中、私は専ら教室や図書館でゆっくりお絵かきや読書をしていました。
そして思い返せば周りにはいつも何かしら先天的な脳の障害を持った個性豊かな友人が机を寄せ合って集まり、毎日それぞれの描いた絵を見せ褒め技術を高め合っていました。
会話のキャッチボールが出来る出来ない等どうでもよく、もはや友人というよりは、絵の質を高めたり面白いものを共有するライバルや仲間といった感じでした。
今改めて考えると美大受験前の予備校のクラスメイトのような感じに近かったですね。
別のクラスになっても休み時間毎に集まっていたと思います。
もちろん外で遊ぶような同級生たちとも遊んではいたはずですが、絵を描いて見せ合う方が記憶に残っています。
それほど絵の技術向上に興味があったのかもしれません。
何しろ皆絵が上手かったのですから。

それぞれ普通とはちょっと違ったところがあったため、多少いじめの様なこともあったのかもしれませんが、お絵かきをしているときは皆その世界に没頭するので楽しかったんじゃないかな。
いじめる人たちって得てして「理解できない存在」を怖がっているんですよね。
「そういう存在」とだけ認識すれば何も問題ないのに。
一体どんな脳構造になっているのでしょうか。

中学校からはそれぞれ別の学校へ通ったため、特に連絡は取っていませんが、私の中学生の時までの記憶がとても曖昧な中、その友人たちとの日常は確かに記憶しています。
小学校の同窓会でも見かけなかったので、多分もう会うことはないけれど、今もものづくりや表現をして生きている私にとって、あれはとても刺激的で貴重な時間だったのだと実感しています。

現在の私の友人たちに、そういった傾向は見えないように思います。
脳機能障害なんてただの個性なので、特にもう意識をしていないだけかもしれません。
ただ、逆に人間になりきれていない私に「会いたい」と思ってくれる人がいる事がとても嬉しいです。
先日も帰り際の会話で来年の話をしていたら「えっそうか。もう今月会わないのかな」と言ってくれて「えっパートナーいるのに、むしろまた誘っていいの???」ってなったし、先週も幼馴染とお茶をしていて「赤ちゃん生まれる前にまた会おう」と約束をしたし、今週は親戚の小さな姉妹たちと会うし、今年結婚したけどよく遊んでくれる大学の友人とお出かけと、ワクワクすることばかり。

それぞれに優先すべき家族がいても、相変わらず皆が私とまた会いたいと思ってくれている。
その事実がとても嬉しくて、私の人生の宝物のような時間に感じます。
その人たちにも日常の記憶として深くいつまでも残るような大切な時間を過ごしたいです。

お題「わたしの宝物」


画像は久しぶりに食べたプリンと苺のパフェ。