あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

生きたい方向はどっち?


BTSのアンソロジーアルバムが出ましたね。
我が家にも届き、早速聴きました。
BTSからARMYへの色取り取りの花束のプレゼントのようでしたね。
そして例の会食の動画も観ました。
ARMYの皆さんはどのように感じられているのでしょうか。

まだ日本語訳は出ていませんが、韓国の方々が韓国語と日本語のニュアンスを踏まえ、考えながら翻訳して下さったものをいくつか拝見しました。
活動休止という記事が多く出ていますが、休止ではなく、休みを取りながらそれぞれが伸び伸びとソロ活動を進めていくと受け取りました。
それは多分ジンくんの兵役期間を考えてのことだと感じました。
戻ってきたらまた7人が集結するんだろうなーと私はただただ楽しみ。

しかし、ソロ活動ともなると、7人+BTSの何かしらの活動もあるとのことだったので結局私の眼が二つでは足りなくなるということですよね。
今まででも彼等の活動を追いかけるのも精一杯だったのに、それが・・・・8倍(白目)。
ARMYを休ませる気がないバンタンからの挑戦状。
お受けいたしましょう。(出来る範囲で)

ARMYによっては「日本語訳で知りたかった(会食の字幕は韓国語・英語・スペイン語で未だに日本語訳がないがそのうち日本語訳もつけるようです)」とか「7人での活動がないなんて」と他のアイドルに乗り換えたりする人もいるようですが、私には何の不満も不安もございません。
メンバーにこんなに正直に(動画もどこまで編集されたかわからないので本音を会社側にカットされいる可能性があるけど)説明してもらえて、Vには会食動画前に、JKには会食動画の1日後にケアしてもらえて、ファンとしては至れり尽くせりの最高のケア。

むしろ私としては皆が幸せに楽しく音楽表現活動をしてくれていれば私も幸せです。
会食の話で何よりショックだったのは「彼等それぞれにとって生きたい方向へ進めている幸せ」を感じて活動が出来ていなかった点だけです。
音楽芸術だけでなく、様々な芸術家を見ていて思うのはやはり「自分がしたい表現ができる幸せ」を感じているか否かにより、惹かれ具合も違ってくるように思います。
だから、これから彼等は自分のしたいことが楽しく出来るようになった暁には、今までより更に進化した作品を披露してくれることでしょう。
それを信じて、応援しています。

さて、BTSのメンバーにならってARMYたちが寄付などの慈善活動をしていることを私はよく目にしていました。
そこで私にも何か出来ることはないか、ふんわりと考えていたところ、母校のパンフレットが届きました。
寄付団体も沢山あり、寄付という名目で詐欺をはたらく方達もいなくはないので信用の置ける所を選びたいですね。
私の母校は何十年もその活動の取り組みを行なっていたので信用が置けるので安心。
そこには寄付も出来ると書いてあったのですが、寄付するにしてもその施設が一体何に一番困っているのか、聞く必要があると思いました。
調べていくと学習ボランティアというものがありました。
初めて聞きます。
内容としては様々な事情で身寄りのない子供たちに、期末テストなどの前にお勉強を教えるというものでした。
とにかくその世界に触れてみないことには何も実感できないと思った私はすぐに連絡を取りました。
すると偶然にもその翌々日に行われるというので参加させてもらえたのです。

私は特に勉強が得意なわけでも、教えるのが上手いわけでもないのに、良いのかな?と運営メンバーの方に質問すると「そばで応援してあげるだけでもモチベーションが上がるので良いのです。わからないところは他の参加ボランティアさんたちと協力して教えるので声をかけてください。」と教えていただきました。

私が教えることになったのは10代の子。
私の時代にはなかったことが教科書に書いてあり、この問題集を解くのだと言われました。
“教科書“という単語自体も、ノートにあった落書きも懐かしかったけど、どうやって教えるんだろう!?と考える間も無くどんどこ1人で解いていきます。
わからないところは参考書?テキスト?に書いてあるので大丈夫かなーとたかを括っていました。
私の苦手な計算が出てきたのです。
早くも他のボランティアさんにヘルプをお願いします。
「無理だよー!ドリル(学校の提出物)やりたくないよー!」と言いつつも、ボランティアさんの解説に理解が追いつきどんどこ解いていき、最終的には目標だったところまで終えられたのです。
すごい!これも子供の成長なのだろうな、と隣で応援しているだけの私は考えていました。

ご縁があればまた会えるんじゃないかとは思いますが、どうなんでしょうね。
運営メンバーさんと担当した子の印象によるので私にはどうしようもないですが、続けられたら嬉しいです。

子供は、誰かの背中を見て自己の世界を広げていきます。
私もドリルを解くのを応援している中で、お絵描きが好きだという子に「絵画でも突き詰めて作品にすれば売ることが出来る」と伝えると目を輝かせているのを目の当たりにして「ああ、私も見本として見せられるような生き方をしたいな」と思いました。
作品もまだまだ作り途中のものや、展示ができていない絵画もあります。
胸を張って生きられるようにしたいです。

事情のある子供たちは自己肯定感が低い子が多いのだそうです。
私にもそれについては心当たりがあるので身近な問題でした。
なので、どのように対応すれば自己肯定感が少しでも上がるのかはわかっていました。
それにより少しずつ距離感が縮まったのはとても嬉しかったです。

私の友人にもやはり自己肯定感の低い人たちはいて。
でもそれぞれの友人たちのやりたいこと、生きたい方向を聞いて聞いて聞きまくって「こういうのはどう思う?」と選択肢を増やすようにお話をするようにしていました。
私が昔、誰かにして欲しかったことを好きな人たちにしているだけだったりします。
押し付けではなくて、それぞれがどの方向へ行きたいと思っていて、何を理由にそこで立ち往生しているのかを考え、それを一緒に解決しては一歩だけ進む、ということをしています。
進むのが解決にならなければ一歩下がっても問題ないですし、本当に行きたいところへ辿り着くことが目標なので回り道しようが時間がかかろうがなんでも良いのです。
ということをしていたからか、子供たちに対してもすんなりと接することが出来ました。

人は勝手に成長し、勝手に生きていくもの。
それはそれぞれが生まれる前に計画してきたものですから邪魔できません。
とはいえ、私と会うことも計画に含まれているのだとしたら、私には何が出来るのでしょうね。

私は最近になってやっと、自分の人生を生きている感じがしています。
今までの私を振り返ると、ただの「モノ」だったように思います。
物体です。
誰かに好かれるということも「物としての自分の価値観」が前提にありました。

経歴、知識、腕、性別、容姿、作品=私という価値観

そう思い込んでいました。
それは親戚や両親から小さい頃より叩き込まれてきた昔ながらの価値観。
古き良きとは言いますが、一歩間違えれば古き悪き習慣になります。
これを私は私の代で終わらせたい。

まだまだ完全に抜け出すことは出来ていないけれど、沢山の年下の友人たちに恵まれたお陰で私の年代以上の人たちの矛盾点に疑問を持つことができるようになったと思います。
ひとつは、会社で働いていた時でした。

“有名な会社でお金を稼げるようにならなければならない“
“社会の常識、社会への貢献“

会社の偉い人に出会った時「犬のように従順な部下」を育てようとしていることを感じました。
上司たちは海外に留学したりしていた人たちで「偉い人たちの考えは古い」と言っていたけれど、その人たちも「〜しなければならない」という古い考えや風習にとらわれている人が多かったです。
それぞれの時代の価値観にとらわれている空間で「〜しなければならない」に縛られている自分も「何故ここにいるのだろう」と考えていました。
あるとき「誰かがこうしなきゃじゃなくて、あなたはどうしたいの?」と聞いてくれた上司がいました。
そのお陰もあり、ハッと我に返ったように思います。
私は私のために生きていなかったのです。
その人のお陰で私は会社を辞めることが出来ました。

もうひとつは婚活をしていたとき。
親戚や両親に叩き込まれた

“早めに結婚しないといけない“
“早めに子供を作り育てること“

という価値観にとらわれ、親との約束を優先し、好きな人と別れ、婚活をした。
相談所に入れば、指定の服装に髪型と会話。
選び選ばれるお見合いにデート。

食べ物も何の味もせず、せっかく良いもの食べても美味しくない。
ひとりで食べる安いパフェの方が断然美味しい。
あれは完全に「相談所と両親に作り上げられた商品」としての私でした。
自分に悪いことをしたと思います。
私には合わなかった。

それで愛が生まれる人はそういう人生経験を選んできたのだから問題ないのです。
私にとっては、誰かに会う度に自分がナイフで削り取られていく鉛筆のような気分でした。
最後にはチビっとした鉛筆になって使えなくなります。
それをやめたことで、私は頭から爪先まで値踏みされることも、セクハラを受けることもなくなり、心の平安が訪れました。
今は芯を取り替えれば永遠に使えるシャーペンの気分です。
親から産まれはしましたが、親戚や親のために生きているわけではないのでもう言う事聞くのやめました。
中国語でも「聴話」という言葉がありますが「先生や親の言うことをよく聞く良い子」つまり「自分がなく言いなりになる都合の良い人」と言う意味でした。
私はその言葉にいい印象がありません。

結婚をしない人が異常のような発言を未だに耳にします。
人のことより自分の人生を密度高く生きているのかどうかじゃないでしょうか。
BTSだってARMYや会社や国のことを優先していたから、本当に自分達が本当に生きたい方向に行けていないことが窮屈で苦しかったのだと思う。
皆が笑顔で好きな方向に生きられますように。
今すぐにそれが実行が出来ないなら、その原因を探して、出来ることからひとつずつ解決していけますように。

 

なんて書いた後に、私の影響で最近また絵を描き始めたという台湾の友人とテレビ通話しました。

友人:田舎に帰るのも良いと思っているけど、それをしないのは諦められないことがあるからだと思う。でもそれが何なのかわからない。

友人:今はサービス業の仕事をしていて楽しいし、サービス業にずっと興味はあるけど責任は持ちたくない。それに絵を描く時間も欲しい。社長は不定期でお店を開けるから、閉めているときにお店をあなたに任せても良いと言っていたこともあったけど、私は料理が作れないから出来ない。

私:サービス業とクリエイティヴ、両方出来たらいいね。社長がお店を閉めている時に、そのお店を使ってギャラリーとして絵の展示会をしたらどう?場所もあって、料理もいらない。でも絵は売ることが出来る。お店の仕事もやめなくて良いし、田舎に帰らなくても良い、絵を描くことも続けられて、売ることもできて、ギャラリー代などの場所代もいらない。

友人:!!うーん。それ良いですね。社長に聞いてみます。

 

こんなことばかりしている。

私には何の得にもならないんだけど、それが良い。

ボランティアも、友人との会話もそう。

損得勘定なくフラットに、誰かと愛を持って接すること。

それで誰かの人生が好転するなら嬉しい。

それが私が出来る人類愛なのかもしれない。

めちゃくちゃ範囲は狭いけどね。