あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

人間のつくった時間で測る動物の寿命

おこんばんは。
もうそろそろ雪が降っても良い時期ですね。
今年は家族とその友人に囲まれクリぼっちを免れ、馬刺しとケーキでイエス・キリストさまの降誕祭を祝った(?)あおりんごです。

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うちの家系は時間にルーズという特徴を持った人たちが多いです。
曽祖父からも↑このような言葉が出ていたので、今でも家訓のように伝承されているほど。
周りには迷惑千万だとは思いますが、我が家では普通のことでした。
なのでお互いにそれなりの対応、周りにも同類の友人、またはそういう人に慣れたタイプのみが残ります。
また逆に「待つ」側になったとしても、時間にルーズな人たちはひとりで楽しめることが多いので「待たされた!」と怒ることがほぼないのも特徴かと思います。
自分で楽しめる工夫がいつでもどこでも可能なので特に待っているという感覚がないのです。

逆に「時間に縛られる」という社会が嫌になり、一度時間に縛られなさそうな場所へ10日ほど一人旅に出てみたことがあります。
東京の島、4島を股にかけた旅でした。
船での到着がなかなか難しいとのことだったのでヘリコプターやセスナ機での移動。
そういう交通機関などの時間は割と守れることがあります。

さて、実際行ってみると、宿では「食事は何時」「お風呂は何時」「就寝は何時」「井戸端会議は何時」とスケジュールが割と細かく決まっていることに驚きます。
興味深くもあり、不思議でした。
皆規律を毎日きっちりと守って生きているのです。
ちょっと私には生きづらい世界に感じました。

これはホテルと宿でもこの差がありますね。
宿だとこの様に決まり事が多く、ホテルだともう少し自由です。
従業員数や客室数にもよるのかもしれません。

海外では交通機関も人も時間にはルーズなことが多かったように思います。
国土の広さや、気温にも関係するのでしょうか。
結果、この一人旅では所属するコミュニティーが小さくなればなるほど時間に厳しくなるとわかりました。

これが皆出来ているということも素晴らしいと思いますが、私にとっては窮屈でした。
クリスマスやお正月などの歌やテレビもあまり好きではありません。
何故かというと、私は自分の日常を継続させたいからです。
今日を昨日の続き、明日を今日の続きとして過ごしたいのです。

「時間」とは人間が作ったものです。
宇宙の中で、地球上で、人間が作った時間に人間だけが縛られて生きている。
その状況があまり好きではないです。
自然の海の動植物、山の動植物、生き物は生きるために自分の軸を持って生きています。
例えば、夜行性の動物は夜に狩をします。
でも夜目の利かない動物は日中に活動します。

私は来世は木になる予定なのですが、何百年も生きる木(私)からしたら数年、数十年の命を持つ生き物が時間にとらわれて生きているのは不思議に思えてなりません。
樹齢600年以上と推定されている国指定天然記念物の善養寺の「影向の松(ようごうのまつ)」に是非会ってみて頂きたいです。
その場所で何を見てきたのかな?と考えると「もののあはれ」という言葉が思い浮かびます。
植物や虫から動物や人間まで色んな種類の生命が誕生してから死にゆくまでを繰り返し何度も感じて生き、木だけが変わらぬ存在としてそこに存在し、そのストーリーをいくつも見てきて何度でも感動できる。
何百年も・・・と思うかもしれませんが、実はこの生き物の寿命の差、私たち人間も感じているのをご存知でしょうか。

長寿国日本では、今や人生百年時代と言われていますが、対してペットはどうでしょう。
ペット業界にもいたのでわかるのですが犬猫は12、3年が平均寿命でした。
今はやはり長寿国の動物だからなのか20年と平均寿命が大分延びている子もいます。
しかしどうやらペットと私たち人間とでは時間の感覚が違うようです。
私たち人間の1日は、ペットからすると1週間と言われています。
数時間振りに会ったら何日も会ってなかったような動物の反応はそういうことなのです。

体の大きさや心拍数の速さによっても寿命の長さは違うと言いますね。

「脈速いと短命」は本当?|NIKKEI STYLE

私は今人間なので、人間の生を全うしようと考えています。
ただ人間の作った時間は私はあまり好きではないので、なるべく自分を尊重した生き方をしたいです。

お題「ペットを紹介します」