あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

必然的な道導


人と話すとき、なるべく相手が前向きになるように心掛け言葉を選んでいる。
最近目に見えて周りの人たちの表情が明るく、考えも前向きになってゆくのがわかる。

よかった!と思う反面「私も誰かに救われたいな」なんて思ってしまう。
友人たちを前向きにするときにはそんなことを思わなかったんだけど、パートナーの件に関しては少し自分の気持ちの行き場をなくして絶望したところがあったのだろう。

先月、2週間ほどパートナーは仕事関連で考え事をしたいと伝えてくれたので、私は連絡を控えた。
その期間を終えた後、二人で食事に出かけた。
元々パートナーはそんなに表情を変えない方だけど、その日はあまり笑いもせず遠くを見ていた。
身体はここにあるのに、まるでここにいないみたい。
私すら見ていない。

話を聞いてみると、ここ2週間ほど色々悩み、辛い時期を送っていて自○すら考えたほどだという。
「この状況がもう嫌だ」と思っていたそうだ。
その状況を作っているのは自身なんだけど、その状況というものを詳しく聞いてみる。
内容は、作家あるある。
それは私も同じようにあるけれど、どうもパートナーは自分を見失うほど余裕をなくしていたようだ。

冷静に自分を顧みることも出来なさそうな精神状態では心身ともに悪影響しかないので、シを考えるくらいなら、この状況から物理的に逃げたらどうかと提案してみる。
・住み込みの仕事
・地方移住
・ワーキングホリデー
・語学留学
結果、パートナーは地方移住を考え出し、笑顔と前向きな考えを取り戻した。

反面、私はというと
・相談してもらえなかったこと
・「もう嫌だ」の中に私も含まれていた可能性
・シを考えたときに1ミリも私のことが思い浮かばなかったこと
・パートナーが今まで私にくれた言葉がその時のみの真実となってしまったこと
以上にショックを受けていた。
付き合ったからと言って、パートナーになれたからと言って、孤独は変わりなく隣にいるのだと実感した。

落ち込んだけれど、私は自分の足での立ち方をもう知っている。
今月は資格試験がある。
それに受かるためにたくさん練習をしている。
その資格は今後の自分のためにも全て取りたい。
けれど、今月受験するものだけでも資格が取れたら、また今までとは別の道での自立の一歩となる。
そして「日常の中でそっと誰かを幸せにすること」という信念は変わらない。

パートナーのことについて落ち込んだとき、私はショックを受けて家でひとり、たくさん泣いた。
泣いたけど、立ち直った。
パートナーにはパートナーの人生があり、私には私だけの人生がある。
それぞれ別の場所でも、別の道でも、前向きに自分の足で立って楽しく生きていればいいと思う。

私は、そういう風に救われることはまだないと思っているけれど、知らず知らずのうちに誰かに救われているかもしれないし、周りの見えない方々にはよく救われているんだろう。
孤独は感じるけれど、結局自分で歩んで行くしか生の道はないのだ。
それなら楽しくて心豊かで幸せな方がいい。
見える方々も見えない方々も私に悪いようにするはずがないと信じて。
私は私にできることをするまでだ。
私は私自身が救う。

パートナー含め、周りの友人たちもそうだけど、私に色々話した後に前向きな考えに変化していくのは、私の力じゃないことも自覚している。
彼らの周りの見えない方々が私の元に人を連れてきて「この子をこっちに導いてほしい」と私の周りの見えない方々に伝えて私がその通り動いているだけだと思う。
私は目の前の相手を想って言葉を選んでいるつもりだけど、多分それすら必然的に相手に響く言葉を選ばされている。

私はこれからもそうやって生きるんだろうな。
みんなが幸せに生きる一歩になるならそれもいいよね。