あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

推し活はまた来年

先輩と連絡を取りました。
年内は忙しいそうなので、次は来年の私の誕生日にお会いする約束をしました。

最近は私の周りに日本の神様よりもマリア様やイエス様や天使さまがきてる感じがしています。
女性や子供を守る神様たち。
クリスマスも近いから愛や奇跡みたいな日々が起こっているのかな。
先輩と宝物みたいな思い出の1日を作れたのもきっとみんなのおかげ。

昨日は帰宅してからテレビをつけてみたら偶然にも"海外の修道院のドキュメンタリー"が流れてきました。
その中で印象的だったのは、教会に来ていた女性の話。
娘さんを早くに亡くした母親が
「娘を亡くしたけれど、ふと自分が娘本人になったようなそんな時があるの。魂が一緒にいるような」と言っていました。
私も祖母が亡くなってから、私の中に帰ってきてくれたように思いました。
だからちっとも悲しくなかった。
もうひとつは「人生は何が起こるかわからない。修道女だって最愛のパートナーを見つけて修道女をやめていく人もいる」という言葉は衝撃的でした。

私たち人間は「愛を学ぶため」に地球で肉体をもって生きている。
もちろん私は周りの人々に愛されて生きているけれど、パートナーに関しては今まで「お見合いをして結婚してほしい」という親の意向を汲んでいたから、外見やステータスなど上辺だけを見て、見られて、疲弊ばかりしていた。
お見合い相談所からはさまざまなルールや服装の規定があり「本当の私」を出すことは禁止されていた。
これが合う人もいるだろうけれど、私には全く合わなかった。
信頼すら出来ない間柄で私にパートナーなんてできるはずもない。

それから何年経ったかな。
その間、神様たちは夢の中で色んな異性を見せてくれて、私のタイプを聞いてくれていたと思う。
それに当てはまって縁結びしてくれた人が大学時代の先輩だったのかもしれない。
運命の人は何人もいるはずなので「この人しかいない!」よりも今は『最後に好きになるならこの人がいいな』と思います。
藤井風さんの「死ぬのがいいわ」がしっくり来ますね。
死なないけど。

先輩のように人に寄り添うコミニュケーションを私も見習っていきたい。
うまくいってもいかなくても、お互いの学びとなり、視野が広がるならそれで良い。

無理はしたくないし、させたくない。
あと何年生きられるか知らないけど、結婚も子供も特に視野に入れてないからとてもフリーダム。
何にも期待してないし、何も焦ってないし、何も不安じゃなくて無敵。

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ナムさんがARMYとの愛について「それぞれのやり方でお互いを応援しつつ、今の距離を維持していく、平行線のような愛であってほしい。」と語っていた意味がやっとわかった。

私も先輩もそれぞれ自分の場所で、自分の人生を生きていくことが必要。
自分を見失ったらそれは相手への依存の始まり。
あくまでも自分の中の中心は自身であること。
その上で相手を思いやり、寄り添う姿勢が大切。

いつまでもお互い対等でいたいから。
それぞれの人生を平行して、ひとりでもふたりでも楽しめるようにしていきたい。
借りた本を読んでふとした瞬間に先輩のことを考えては自分の中の愛を育み、お互いの視野を広げていく。
これは今の私が辿り着いた愛のカタチ。

先輩からは本当に物質的なものは何にも求めてない。
ただ一緒にお話がしたい。

先輩もBTSも私にとっては本当に「推し」なんだね。
BTSにも何にも求めてない。
彼らにだって、好きなことして、好きに生きていてほしいと願う。

神様もみんなも私を愛しているのだから、悪いことになるはずもない。
万が一そんなことが起こったとしても必然でしかない。
その後にもっと良いことが起こるだけ。

あっ先輩との面白い遊びを思いついた。
私もたまにひとりでやるんだけど、使い捨てカメラで1日遊ぶの。
そのまま写真屋さんに持ってって現像したりして。
今度先輩に会った時に使い捨てカメラを渡して、その次に会うまでに好きなもの撮って来てもらおう。
それをもらったら私が現像するんだ。
先輩の視点が見たい。