あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

制作をして生きること

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こんばんは。

前のブログで「自分の作品づくりが出来ている」と言っていたけど、それからよーく考えてみました。

 

もちろんオートクチュールではあるし、私のテイストでもあるものの、なんだか仏像を彫っている仏師みたいな感覚なのです。

喜んでもらえているからそれはそれで良いのですが、自分の作品と言うには少し違和感がある。

 

あるとき全く別の職種の方と話す機会があり、そんな話をしたところ「私に出来なくてその方に出来ること、その方に出来なくて私に出来ること」があるのだと実感した。

私はそれを誰にでも出来て当たり前のことだと思っていたけれど、そうでないことに気付く。

仏師みたいではあるものの、私にしか出来ない誰かの癒しになる仕事。

それを見つけられただけでも良いことだと思った。

これは私に出来ること。

 

でも作りたいものはあるので、コンペ用としてじっくり煮詰めながら作っていきたい。

これは私のやりたいこと。

 

どちらも少しずつで良いから進めていこう。

大丈夫、今までも生きて来たんだから。

 

ドアは開いていて皆が外で呼んでくれていたのに、いつも窓の外を眺めては羨んでいた。

いつだって限界を作っているのは自分自身。

 

「あなたはいつも失敗ばかりしている」と言われたこともあるけど、そう言う人達よりも私は色んなことに挑戦しているし場数も踏んでいる証拠。

挑戦するのは怖いけど、何故かいつも簡単な方ではなく難しい方を選択してきた。

何故だろう?

「難しい方を選択した方が面白そう」だとワクワクしていたことを思い出した。

面白そうだと感じる理由は「出来なかったことが出来るようになるかもしれない、今まで見えなかった景色が見えるようになるのかもしれない」という自分の可能性を信じたから。

それは失敗も成功もたくさん体験して来たからなのかな。

失敗が怖いと言う人は、失敗の経験が少なくて"知らないから怖い"のと、プライドが高い人が多い気がする。

それこそ「あなたはいつも失敗ばかりしている」と言われたくないから他人に言えるのだろうな。

これはどちらが正解という話ではない。

どんな生き方をしたら自分が死ぬときに後悔しないかが重要。

 

地球が誕生してから、こうして人間社会が出来たのなんてほんのちょっとの出来事だし、人間の一生なんて一瞬で儚いもの。

失敗も成功も一瞬にも満たないこと。

 

いつも両親や先生に怒られて育ち、外では貶された結果自己肯定感は低くはなったけれど、社会に出てから自分の機嫌は自分で取って気分を上げて、自分で褒めて、自分を信じるしかないなとわかったよ。

社会に出てからも理不尽なことたくさん言われて貶されて来たけれど、今思うと彼等は自分が偉いのだと示したかっただけなんだとわかる。

それでは立場やお金でしか人が集まって来ないのにね。

それにいつか他の誰かが助けてくれるって待ってても誰も来ないし、自分でなんとかした方が早い。

たまに不安になったり弱気にもなるけど、それは大体運動、日光浴、睡眠の不足、ホルモンバランス、あとは寒さのせい。

お散歩して、空の色の変化や葉っぱに映った空の色に感動したり、虫の音に季節を感じて、自分の好きなもの食べて、湯船にゆっくり浸かって、自身のあらゆるケアをして眠る。

泣くのも笑うのもストレス発散になる。

自分のケアは自分でして、余裕を持たせると、思考がクリアになる。

 

そろそろ制作の続きをしようかな。

それではまた。

 

写真は、紅茶に映るステンドグラス。

アールグレイが好き。