あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

私たちの今は何億光年も昔の瞬き

私たちが見ている星は、何億年も昔に瞬いた星の光。
ということは、私たちが生きている地球の光もまたどこかの星へ何億光年もかけて届く。

もっともっと遠くに視点を持っていくと。
「今を生きている」と思っている私って、実は何億年も昔に生きていた時を思い返しながら再び別次元で体験しているんじゃないか。
なんて考えることがある。

私が生きた物語を聞くことを楽しみに待っている人たちが、何十億光年も遠くにいることを知っている。
だから死ぬまで楽しく生きることを体験しようと自分で決めている。

この世に生まれてくる子供たちと、死を迎える老人たちには、小さくまんまるな玉を持っているという共通点がある。
身体の寿命を0歳から大体80歳までと考えてみてほしい。
その間に心の中の無垢でまんまるな玉は、身体の成長と共に自分や周りで起こるままならない事がたくさん起きて、それを受け止めたり受け止めきれなかったり傷ついたり傷つけたりしながら歪に形成されていく。
この“ままならないことの抵抗力“が高ければ高いほど複雑に変形する。
それが個々の個性となる。

方や、それがひとつひとつ剥がれていく事も同時に起きていく。
そして死を目の前にして全てが剥がれてまたまんまるな玉に戻る。

生きるってそういうものなのかなぁと考えている。

迷える子羊を導くものたち




あおりんごはたまに占いをする。
自分もしてもらうし、することもある。

私は自己流ではあるけれど、カウンセリングした上で行うので方法としては制作とそう変わりない。
占いたいことも聞いていくと、どうも聞きたいこととは逸れてしまうけど結果的に解決することが多い。

人間が悩むことって大体もっと根っこの方に問題があるのに、本人は上の方ばかりに気が行っていて堂々巡りをしていることが多い。
複雑化させているのは自身なことにも気付いていない。
そこまで掘り下げて初めて一歩踏み出せる。

占いをしていると、その後の話を聞くことも多い。
話を聞いていると、悩んでいる人たちってほんのちょっとの後押しが欲しいのだ。
「これで合ってるのかな、でも、、、」と一歩が踏み出せないでいるから。
占い結果によってそれがなくなり、次のステージへ足を進められる。

ビフォア&アフターのお顔が違うもんね。
パッと明るくなっておしゃべりに拍車がかかって未来に進むべく力強くエンジンがかかる。
私が関わる目の前の人たちがどんどん好転していくのは見ていて気持ちが良い。

一方、占う方は毎度何かをもらっちゃうようで、占った後はどんより頭痛が起こったり、精神的にやられることもある。
先日も占いで何とかいい方向に占えたらしくて、お相手の涙を見た。
ホッとしたような癒しの涙。
お相手「心がスッと軽くなったよ、ありがとう!」と晴々としている。
私「それは何よりだよ〜」頭ズーン。

せっかく晴々しているのに心配をかけるのも違うので、笑顔でお別れ。
その後とにかく座って休める場所を探していると花屋さんが目に入る。
緑だ!葉っぱだ!助けて〜と藁をも掴む気持ちで葉っぱの生い茂る枝物を一本購入する。
枝を途中で切ってもらう。

何とか近くのカフェを探し出し、着席してハーブティーを注文。
※何も考えずにハーブティー頼んだけど写真のようにグリーン、偶然なのか自分もこの日の洋服がグリーンだった。
さっき切ってもらった枝を簪のようにさす。
これもグリーン。
どうにもならないので頭痛薬も少なめにして飲んでみた。

頭痛薬が効いたのもあるかもしれない。
でも明らかにさっきの重たい感じは薄れ、心地良くなり、最後にはスッと上に消え去っていく感覚があった。
頭痛薬だけだとこの心地良さと上へ消える感覚はあんまりない気がするな。

周りの人たちが幸せな気持ちになっていくのはいいことだ。
反面、自分が「私もこんな風に癒してくれる人がいたらいいのに」と落ち込むことがある。
でも今のところそうやって葉っぱだったり、周りの見えない人たちが癒してくれるのでもうちょっと気を強く持ってもいいのかな。
それに自分の機嫌を取れるのも、自分を癒せるのも結局自分自身だ。

パートナーも癒してはくれるけれど、まだ頼ることが出来ない。
私は自分の足で立てるようになりたい。

私は多分だけど「生きる気力」をよく感じられる方なんだと思う。
気が迷っていたり、人生を諦めかけている人たちが見える。
だからそういう人たちにだけ声をかけて、占いをするにしてもしないにしても気持ちを持ち上げられるようにしていくことが出来るのだ。

これって、一見私の力に見えるでしょう。
しかし実は
“お相手の見えない周りの人たちが私の見えない周りの人たちと話し合った上で、私の口を通して相手を導く“
ということをしているだけだ。
それ以外に特に意味はないと私は感じている。

そもそもこの人生はアトラクションなのだから、何もかも楽しんだもの勝ち。
悩んだり、選択に迷ったりすることだって実はとても贅沢な体験だったりする。
私はそんな一人一人の物語をカウンセリングで見せてもらってから占いをして、私の口を通した言葉によって相手が自身の存在に気付き、自身の幸せに向けて歩んでいく行程まで見せてもらえるのはとても喜ばしいことだ。

そんな私を誰かが見ていてくれているのか。
この占いの翌日に不思議な夢を見た。
「後○万円しかないなぁ。どうしよ」と通帳とにらめっこをしていると、急に一桁増えて驚くという夢。
たぶん、その占いによってそれだけの“徳を積めた“ってことなのかな。と感じた。
私がやったことという実感はないけど、これは良いことみたい。

迷える子羊たちは得てして現世の記憶しかないから人生一周目だと思ってるし、初めてのことばかりだから幾つになっても不安で背中押して欲しいんだなーとしみじみ。
たぶん人生何周しててもそう思って生きちゃう。
それが成長ってものなんだろうな。

答えは全て自分の中にある。
複雑化したいろんなものに埋もれて見えなくなっちゃうけど、それを引き出して見つけてみてね。

人もお金も追いかけるべからず

自己啓発
引き寄せの法則
・お金を追いかけている人

そうじゃないんだけどな。と思うことが多くなったのは、実際に体験しているからなんだろう。
自己啓発ってそれが全てじゃないし、自分がどうしたいかなので全てが皆に当てはまるわけでもない。
自分に合っている人、物事に出会うと、全てはトントン上手く行くし、会ってなかったら何度やっても上手くいかない(でもそれを体験することには後々意味があるとわかる)。
お金もそうなんだけど、お金を儲けるために商売をしているとお金が察して逃げていくことが多くなるし、自分も相手も嬉しくてその対価としてお金のやり取りをする関係が構築できるところは自然とお金が循環するし、本当に必要なときは人もお金も向こうから寄って来てくれる(都合の良い時だけっていう人は避けたいね)。

対価以上を払いたくなるくらい、その人の日常やその周りの人も幸せな気分にする仕事をしながら飛び回りたい。
今はまだ目標の仕事ができる状況じゃないけど。
あと1、2年の辛抱だ。
その目標に向けて今月から動き出している。
人を幸せにしたお金で、また自分や他の人も幸せにするんだ。

それはいいんだけど、最近胃腸を大切に出来ていないかも。
夏は少食が身体にとって良いみたい。
あんまり無理せず、体調見ながら、水分補給をして身体に優しくしたい。
なんて今日は悔しいことがあったから久しぶりにポテチ食べちゃった。
しょっちゅう食べるもんじゃないし、たまにはいいか。
体力もつけて、鍛えなきゃな。

目にうつる全てのことはメッセージ



瞑想って、何故するのか。
どう良いものなのか。
最近になってやっとわかってきた。

色んなワークがあるけれど、要するに雑念と自分を分けるってことだと気付いた。
言うのは簡単だけど、やってみるとこれが中々難しい。
でも頭の中であーだこーだ喋っていたり思い出しているところを見つけて「あっ!コレが雑念だ」と気付けるとネガティブな考えや恐れから解放される。

それには呼吸も大切みたい。
鬼滅の刃」でも「呪術廻戦」でも言ってたし。
「その名前が恐れられているものほど悪魔自身の力も増すという」って「チェーンソーマン」でも言ってたし。

・正しく呼吸をする
・自分の存在を自覚する
・雑念を見つける
・雑念が恐れになる前に自覚して切り離す

私はコレが出来るようになれば、人間はシを考えたりしないんじゃないかと思う。
どっちにしろ土に帰るんだし、私は今を楽しみたい。

生き物に“生きる意味“とか“使命“とか特にないと思ってる。
というか、それは死んだ後にしかわからないでしょう。
生きてる間に考えることかな。

特に今の目まぐるしい時代を生きている私たちは、特別賞の旅行でも当たったようなもので地球人の人生というアトラクションを楽しんでいる。
それが終わったらまた肉体は地球へ、魂はあるべき場所へ還るだけ。
遊園地のアトラクションに意味を求めるものじゃなくない?
と私は思って生きている。

今日はたまたま涙も出てきたくらい悔しいことがあったんだけどね。
「でもこんな悔しい思いをしてるのって、これまで沢山努力して来たからだし、その努力がまだもう少し足りなかっただけだし、それでも最初の頃より確実に上手くなってるし、こんな感情も体験出来てすごいな。これからまだまだ辛くても苦しくても楽しかったり嬉しかったり誰かと喜んだりすることがあるんだと思うと、このアトラクションは最後どうなるんだろう?ってワクワクする」って思えた。長い。

そうそう、その前にも考えたんだ。
この雑念に皆が気付けて、ネガティブマインドから抜け出して、楽しいとかワクワクすることだけを続けていけたら多分ものすごく幸せな世界になるんじゃないかなって。

さっき“生きる意味“とか“使命“とか特にないって書いたけど、人が生きる上で起こるひとつひとつの事柄にはそれぞれ意味はあると思う。
これも全部後で気付くことが多いんだけど「Aという事象があったからBが起こったんだ」ということが結構多い。
例えばこんな日常的で些細な出来事
・一本早い電車に乗れたから車窓から虹を見ることが出来た
・1ヶ月前に特に何の目的もなくテレビをつけていたらある特集がやっていて、翌日友人とその特集でやってた場所へ行くと友人も同じ番組を観ていて行きたかったと話していたり。

そういうのもあるけれど、もうひとつ別のことも起きる。
例えばトラウマについても
・のらりくらりと逃げていても苦手な人に何度も偶然出会ってしまう
※この人に関して何か振り返れず逃げていることはないか
・何度も過去の自分に起こったことや思考がフラッシュバックする
※この時の自分を振り返って受け入れられているか
・身体的、精神的な病気になったのは何故なのか
※その病気にならないと経験出来なかったことがある

RPGゲームあるあるだけど、ある人と喋ったり、何かアイテムもらわないとイベントが起こらず次の展開に進めなかったりするアレです。
それをクリアしないといけない時期なんだなーと思うことがあります。
不思議なことにそれをクリアするとボーナスステージなのかなってことも起こるし、ものすんごい些細なことだったりもするし、実はそれが超展開への布石のひとつだったりもする。

ユーミンも歌ってます。
「目にうつる全てのことはメッセージ」
そういうこった!
でもそれに気付くか気付かないかは自分次第。

数日前に思い立ち、ひとり旅に来ている私。
思い立ったが吉日というけれど、これも何かのご縁でメッセージなのだろう。

必然的な道導


人と話すとき、なるべく相手が前向きになるように心掛け言葉を選んでいる。
最近目に見えて周りの人たちの表情が明るく、考えも前向きになってゆくのがわかる。

よかった!と思う反面「私も誰かに救われたいな」なんて思ってしまう。
友人たちを前向きにするときにはそんなことを思わなかったんだけど、パートナーの件に関しては少し自分の気持ちの行き場をなくして絶望したところがあったのだろう。

先月、2週間ほどパートナーは仕事関連で考え事をしたいと伝えてくれたので、私は連絡を控えた。
その期間を終えた後、二人で食事に出かけた。
元々パートナーはそんなに表情を変えない方だけど、その日はあまり笑いもせず遠くを見ていた。
身体はここにあるのに、まるでここにいないみたい。
私すら見ていない。

話を聞いてみると、ここ2週間ほど色々悩み、辛い時期を送っていて自○すら考えたほどだという。
「この状況がもう嫌だ」と思っていたそうだ。
その状況を作っているのは自身なんだけど、その状況というものを詳しく聞いてみる。
内容は、作家あるある。
それは私も同じようにあるけれど、どうもパートナーは自分を見失うほど余裕をなくしていたようだ。

冷静に自分を顧みることも出来なさそうな精神状態では心身ともに悪影響しかないので、シを考えるくらいなら、この状況から物理的に逃げたらどうかと提案してみる。
・住み込みの仕事
・地方移住
・ワーキングホリデー
・語学留学
結果、パートナーは地方移住を考え出し、笑顔と前向きな考えを取り戻した。

反面、私はというと
・相談してもらえなかったこと
・「もう嫌だ」の中に私も含まれていた可能性
・シを考えたときに1ミリも私のことが思い浮かばなかったこと
・パートナーが今まで私にくれた言葉がその時のみの真実となってしまったこと
以上にショックを受けていた。
付き合ったからと言って、パートナーになれたからと言って、孤独は変わりなく隣にいるのだと実感した。

落ち込んだけれど、私は自分の足での立ち方をもう知っている。
今月は資格試験がある。
それに受かるためにたくさん練習をしている。
その資格は今後の自分のためにも全て取りたい。
けれど、今月受験するものだけでも資格が取れたら、また今までとは別の道での自立の一歩となる。
そして「日常の中でそっと誰かを幸せにすること」という信念は変わらない。

パートナーのことについて落ち込んだとき、私はショックを受けて家でひとり、たくさん泣いた。
泣いたけど、立ち直った。
パートナーにはパートナーの人生があり、私には私だけの人生がある。
それぞれ別の場所でも、別の道でも、前向きに自分の足で立って楽しく生きていればいいと思う。

私は、そういう風に救われることはまだないと思っているけれど、知らず知らずのうちに誰かに救われているかもしれないし、周りの見えない方々にはよく救われているんだろう。
孤独は感じるけれど、結局自分で歩んで行くしか生の道はないのだ。
それなら楽しくて心豊かで幸せな方がいい。
見える方々も見えない方々も私に悪いようにするはずがないと信じて。
私は私にできることをするまでだ。
私は私自身が救う。

パートナー含め、周りの友人たちもそうだけど、私に色々話した後に前向きな考えに変化していくのは、私の力じゃないことも自覚している。
彼らの周りの見えない方々が私の元に人を連れてきて「この子をこっちに導いてほしい」と私の周りの見えない方々に伝えて私がその通り動いているだけだと思う。
私は目の前の相手を想って言葉を選んでいるつもりだけど、多分それすら必然的に相手に響く言葉を選ばされている。

私はこれからもそうやって生きるんだろうな。
みんなが幸せに生きる一歩になるならそれもいいよね。