あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

背の高低差で見える別世界と自分への幸せ貯金

4月中頃は何の予定も立てず、立たず、体調も芳しくなかったので休み休み仕事をしたり、考え事をしてたあおりんご。
先週から今週にかけて何人もの友人にお誘いいただき今年初じゃないかってくらい沢山おでかけしてきました。
今回はその中のひとりの友人とのお話。

【新居ルームツアー】

リノベーションを終えたという友人の新居へお邪魔してきました。
お家周りにも元々小川があったところを綺麗な公園にしたような美しい場所がありました。
珍しい鳥も見かけたので調べてみたらオナガというブルーグレイの長い尻尾を持つカラス科の仲間。
素敵な街です。

お家に到着すると、日本家屋をリノベーションということもあり、天井が低くてもそれをあまり感じさせない白を基調とした作りになっていて、木の柱もうまく利用して自然な仕上がり。
パートナーと住むとのことでしたが、いつもお洒落な2人らしい家だなと思いました。
屋上も整えたとのことでしたが、生憎の雨で見ることは出来ませんでした。
また次回!

お家の中では、とても美味しいお料理をご馳走になりながら沢山お話をしました。
私がBTS好きなのでBTSの音楽をかけてくれたりと、至れり尽くせり。

【身長の高低差で見える別世界】

会話の中でも興味深いと思ったのは、子供の頃から現在まで変な人が寄って来たことがないということでした。(ここでは勝手に他人の身体を触ろうとする痴漢・下半身を見せたがる人・ナンパ・威圧的な態度でコントロールしようとしてくる人など、勝手に寄ってくる人のことを指します。特に古い時代の価値観の方々)
背の高い友人としては「そんな人、本当にいるの?」とキョトンとしているのがこれまた不思議でなりませんでした。
これには背の丈が関係するようです。

背も低く童顔の人間の場合、男女関係なく変な人が寄り付きやすいというか、これは憶測ですが「抵抗してこない弱者」として見られることが原因かと思います。
SNSでも同じような内容のものがいくつかあり、納得しました。
背の高い人にはその状況になったことがないので理解できないといった様子の人が多いです。
人によるとは思いますが、背の高い人が絶対にそう言う人種に出会わないというわけではなく、あくまで確率の話です。

世界的に考えてもそれは同じかと思います。
海外の方で高身長の人は威圧的な態度を取られることが少なく精神的にも余裕があるようです。
私が一緒に働いていた人たちも、外国の方も高身長の方は一目置かれている人が多かったです。
低身長の方は性別関係なく毎日のように高身長の上司にターゲットにされていました(今考えても間違いなくパワハラ)。

親戚にも高身長の子がいますが
「電車に乗ると頭ひとつ分出ちゃうから、皆の黒い頭が沢山見えるよ」と言ってました。
背の高い友人もそれを聞いて頷いていました。
低身長のあおりんごは見たことのない世界です。
でも背の高い親戚には「いいな、あおりんごは背が小さくて」と毎度言われていました。
お互い無い物ねだりです。

私は低身長&童顔のおかげで、変な人に遭遇する確率が上がり、傷つきながら疑いながら出会う度に対処して生きて来ましたが、そうなったことがない人がこの世にいることに驚きました。
身長の高低差だけでこんなにも見えている世界が違うなんて。
ならば鳥の眼を持ったら、どうなるのだろう?と思うじゃないですか。
視野は高く広くなれど、残念ながら他人から自分への視点を変えることはなかなか難しい。
外見を派手にする、身長が高くなるような靴を履く、くらいしか今は思いつきません。
これはひとりひとりの意識が変わらない限り、背の低い人たちが変な人に遭遇し嫌な思いをするようなことは無くならないのでしょう。

【必然な幸せ貯金と出会い】

そしてもう一つ、興味深い話がありました。
私は仕事を辞めて個人事業主として生きると覚悟を決めた時、色んな方からの応援や援助がありました。
おかげで元々持っていた道具に加え、さらに制作に必要な道具が全て手元に揃いました。
こんなことが今まで3回以上起こってる。

友人も家を買う前に「前に住んでいた家をそろそろ引っ越してパートナーと一緒に住もうか」と考えていたそうです。
そんな矢先、大家さんから家を取り壊す予定だから悪いけど引っ越してもらえないか、と引越し用の補助金を数十万円いただき、それもお家の代金の足しになったそう。

お互いに「自分を幸せにしよう」と覚悟した時、幸せ貯金が降りてくるように出来ているのではないか。と話ました。
考えてみると人生って割とそういう風になっていませんか?

・物語で言うところの伏線が数十年単位でいくつもある。
・数十年前買ってあんまり使ってなかったし、奥の方へしまってあったのに場所もわかるし今すごく役立ってる。
・ちょっと悩んでいると久しぶりに読む本に必要なヒントが載ってた。

と言うことが私はよくあります。

先日も親と出かけた際、デパートの中でもエレベーターも停まらないようなフロアで、販売しているものも内容的にとてもコアなものが売っているところで、でもランチはとても親好みだろうなと思って案内したお店がありました。
やはりランチの内容はとても気に入っていました。
食後にフロアを散策してみると、親が必要だと思っていたものがその階に全てあったそうです。
多分1、2時間そのフロアで買い物をしていたと思います。
私としては予想もしていなかったので驚きました。

そうやって必要なものは必要な時に出会うように出来ているんだな、と感じます。

コジコジ

なんかの動画でさくらももこさんの作品についての解説をチラッと耳にしました。
そこで「そういえばちびまる子ちゃんは観たことあるけど、コジコジは観たことないかも」と思い、YouTubeで探してみたらコジコジの公式アカウントから100話無料で観れるようになっていました。

オープニングテーマ曲やそのアニメーションに見える人の特徴が全部詰まってて鳥肌。
内容はたぶん日本人にはとても身近な神様や付喪神や妖怪が詰め込まれている感覚。
コジコジはフワッとしてるのに時々妙に哲学的なことや真理を言うし、何者なのかわからないけどどうやらこのメルヘンの国の中でも意外な年齢だったり特殊能力持っていたりと謎だらけ。
これは私にはそう見えるって言うだけで、本当のことはわからないので興味のある方はぜひ観てみてください。
役に立たない、変な子に見られても気にしないし、実は見えてないところで沢山のことが出来ているコジコジを見てると勇気が出るあおりんご。

昔全く興味なくて観れなかったのに、今見るとこんなに面白いなんて。
って言うと、周りの友人から「今のあおりんごには余白があるから楽しめるんだよ」とのこと。
毎日作業に追われて余裕がないときに、たくさんのものを素通りしていたことを今少しずつ取り戻しているようにも思えます。

今週のお題「好きな街」

BTS【 PDT on Stage in LV 】online concert ‼︎

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BTSの7人皆大好きだけど、特にJIMIN推しのあおりんご。
先日のオンラインコンサートを観ました。

最近自分の中でも色々考えたり、変化があったりで、少しだけBTSと距離をとっているところがあったからか、前日から「明日はついにジミンちゃんに会える!」とソワソワしてました。


【当日の異常なあおりんご】

朝6時に起床(開演時間11時半だけど?)
薬膳をふまえた8種類のローストナッツを食べる
外の植物たちに水あげ
筋トレ&ウォーキング(いつもしない)
朝ごはん(いつも食べないほどの量を爆食い)
朝風呂(いつもは夜)
いつもよりおめかし(いつもそんなしない)
おやつとお茶を用意(お茶めっちゃ飲んだ)
PC&iPadでウィバースログイン成功、待機(どちらかが落ちても観れるように)

これは開演前の一部ですが、自分でもいつもやらないことを無意識にたくさんやらかしている1日でした。
これだけでもソワソワ度合いがわかります。

【オンコン開演】

この世で生きて動いてるジミンちゃんが映っただけでもう何も言えず胸がいっぱいになり涙が出てくる。
外見がかっこいいとか、そういうことだけじゃなくて「リアルタイムで動いてる推しにやっと会えた!」という嬉しさが1番に込み上げる。
7人が順番に映るんだけど、この人たちは天使なのかな?って思うくらいパワーがある。
もちろん身体を鍛えたり、学んだり、工夫したり、おしゃれしたり、そういうのもあるんだろうけど、生きる力だけじゃなくて、そのパワーを周りに与えたり、考えさせる影響力も素晴らしい。
彼らを見ていたら、軽率に「○にたい」なんて考えられない。
これからどれだけ伝説を残すのか、まだまだ見てみたい。終われない。という方が勝つ。

なんてことをものの数秒で感じていたと思う。

【中盤】

やっと慣れてきて、あらゆるかっこよさと美しい歌声とダンスに魅了されて口が塞がらなかったり、奇声を発したり、一緒に歌ったり踊ったりしてました。
オタクならわかってくれると思うけど、推しを目にすると何度もビックリするし、かっこよさやら可愛さやら一挙手一投足に感動し「生きて動いている」だけで涙する。
しかしちみちゃんとグウちゃんはお衣装セクシー過ぎんか?
お腹やらお胸やらアーティスト保護案件だよ。
自らお腹出してるとこあるけど。
SUGAに関しては逆に可愛いオーバーオール姿でイカついラップかますところがまた最高でした。
いつの間にかバンタンの間で“どのメンバーのVLIVEでも、SUGAいなくても必ず現れる「YOONGI Marry Me」というコメント“が認知&ネタ化されており、それだけでなく観客の中でもそのメッセージプラカード持ってウェディングヴェール被った方が本当に映される場面もいくつかありました。
本物だ!って思ったし、Vことテテちゃんが「あのコメント書いているのは1人の人かもしれない」と言ってたけど、やっぱり何人もいたよ。
映されたSUGAペンARMYおめでとう!
照れたユンちゃん見れて私も嬉しかったよ。


Vが「『FAKE LOVE』のパフォーマンスは今後しばらくやらないかも」とサラリと語っていてARMY界は騒ついた。
実はBTSの音楽もパフォーマンスも、大人の事情により今は出来ないものがいくつかあるのです。
それに当てはまるものなのか、それとももうすぐ新しい曲でのパフォーマンスが入るからその為に控えるだけなのかは言及していないのでわかりませんでした。

そして彼らの発する言葉や歌の意味を改めて感じる。
BTSメンバーの仲の良さはパパラッチすら諦めるほどだけど、LIVEを観ていたら、メンバー同士お互いを思い合い家族のような好意をもって気遣い合っていて「天国ってこういう人たちが沢山いる場所なんだろうな」と思うほど平和を体現していた。
そのくらいメンバー同士が幸せだから、応援するファンことARMYも幸せになれるし、お互いがお互いの幸せを祈り願う関係が成り立つのだとしみじみ感じます。

昔から日本でも伝説級のアイドルたちは「恋愛禁止」なんて言われずとも、そんなことに時間使う暇もないほど活動するような意識の高い人たちが多いので追いかけられるようなことをしていない、もしくはめちゃくちゃ注意深いというのもあるかもしれない。
特にヒョンラインはそういう意識がとても高くていらっしゃる。

【エンディングメント】

最後にメンバーひとりひとりが一言ずつ話すんだけど、J-HOPEから始めようとしたところ何故か「今日は特別にジョングクが先!」と末っ子ジョングクに順番を変えてもらっていた。
不思議に思っていると、ジョングクの後にJ-HOPEが話したことは長男キムソクジンについてだった。

ラスベガスへ行く前に、韓国で手の指の手術をしたジンくん。
彼はメンバーに迷惑をかけたくない、ARMYにも7人揃ってパフォーマンスを見せられないのは申し訳ないと、ギリギリまでダンスをする気でいたようだ。
だけどまた指の状態が悪くなったら再手術だというドクターストップにより、軽いダンスと歌のみでの参加となった。

● J-HOPE

J-HOPEは英語で皆への感謝を述べた後、韓国語で長男について少し語りました。
「正直、BTSのステージで1人が抜けるのは大きなリスクです。しかし、健康が一番なのでそれを受け入れ、健康を大事にするのがうちのメンバーたちなんですよね。でも今回、ジンヒョンは全く違いました。練習の時も、何とかして空白を感じさせないように最善を尽くしてくれたウリジンヒョンに、大きな拍手と歓声を送っていただけたら有難いです。今回のラスベガス公演では空白を全く感じさせず、最高でした。ヒョン!ヒョンのおかげです。」
ジンくんはそれに対してお耳を真っ赤にして恥ずかしそうにWWH(ワイルドワイドハンサム)な顔面をギプスの手で隠していた。

でも待って。
冷静に考えても、ジョングクの一言コメントの間にこの全文の構成を考えていたってこと?
流石皆の希望、皆のオンマ、シゴデキ男、J-HOPE!

● JIN

少し恥ずかしそうにおずおずと話し出す。
「先ほどJ-HOPEがすごく良いことを言ってくれたのですが実は僕たちのチームには迷惑をかけたんです。7人ひとつのチームで動くのに僕のミスで怪我をしてしまいました。チームが助けてくれたので怪我したにも関わらず良いコンサートができたと思うし、この場を借りてうちのチームに感謝の気持ちを伝えたいです」

その「迷惑をかけたんです」の言葉のところでVがジンくんの元に来て「でも迷惑じゃなかったです!OK?」と畳み掛けたのは本当にVらしくて良いし、別のアングルからだとジンくんの最初の「メンバーに迷惑をかけたんです」あたりでフロアに座ってたVがサッと立ち上がってJhopeやグクに話しかけながらジンの元に行ってから上記のやり取りをしてたんですよね。
映ってなかったけどSUGAも立ち上がっていたとか、JIMINも腕を広げていたとか、ナムさんは笑顔で眺めていたんでしょうね。
皆大好きな努力家で頑張り屋さんのジンくんを迷惑だなんて思うわけないんだけど、それでも決して自分のことは語らずに、メンバーやARMYを気にかけて悪かったと思っていることを言葉にして伝えるところがまたジンくんらしいのかな、とも思うのです。

● RM

メンバーひとりずつの言葉も終わり、最後はBTSのリーダーRM。
「PTDのコンサートも終わりとなりました。本来の計画段階で、この PTD on Stage は1日限りのライブのはずでした。皆が大好きな曲を詰め込んだ、ひとつの完成されたパッケージにしたかったんです。でもこれが当初思わぬ形で12日間もの公演となりました。これは皆の愛があったから実現できたことです。ラスベガスには、2009年は家族と、2014年はアメリカン・ハッスルライフで、2017年は初めてのBBMAsで来ました。そして今回はここで12回の公演。おかげで英語も上手くなりました。実は毎朝ここで朝6時にジョギングをしていたんです。このスタジアムを見て、5万人の皆のことを思い浮かべ、絶対にこの愛が当たり前のことだと思ってはいけない、と考えたんです。だから、ありがとう。来てくれてありがとう。これからも一生懸命頑張ります。ARMYと僕らの愛はお互いの全てです。ツアーはこれで終わるかもしれないけど、皆の光はこの先もずっと輝き続けます。」

言葉を書いてるだけで泣けてくる。
スピーチさせたらピカイチのナムさんだけど、毎度不思議なほどストレートに心に刺さる。
写真集とか、Instagramとか見ると、多少は“アイドルを演じている“ところがわかるんだけど、彼らの言葉には欲がない。
決して押し付けることも、支配することもない。
ただ生きて感じてきたことを、古くからの友人に話すように語るんだ。
そして最後に皆でお辞儀をするところ、ジミンとRMだけ土下座をした。
これは日本では古来からのご挨拶方法ではあるけれど、韓国でも最上級のご挨拶方法みたい。

RMの人間性の高さを目にする度に、我が身を振り返り反省する。
流石BTSのリーダー!なんだけど、人類のリーダーでもあるかもしれない。
メンバーひとりひとりの紡ぐ言葉、生き様、MVや音楽に歌詞から世界中のどれだけの人たちが救われたのだろう。
少なくとも私のリーダーでもあるということは変わりない。
アイドルの域を超えているというか、アイドルって何だろな?と度々考えさせられるグループ。
それにアイドルって偶像崇拝の偶像から来てるけど、まさにそれだよね。

しかし本来の彼らは間違いなくふつうの20代の男性で、なのに人間としての完成度がとても高い。
それは周りにそう望まれているからでもあるだろうけど、それだけじゃないんだろうな。

あ、ジミンちゃんのソンキスはちゃんとキャッチしましたよ。
大好き!

7人皆大好きで、ひとりひとりについて語るとキリがないのでここまでにします。
そして最後に来たる6月10日にカムバック予定!?という告知もありました。
楽しみ!
これからも目が離せませんね。
とにかくメンバー全員が楽しく健康にいてくれることを願います。

 

和菓子と国内外の神様

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急に和菓子が食べたくなったあおりんご。
自転車でちょっと遠くの和菓子屋さんへ行きました。
京都では何度か食べていたけど、まさか近所にも店舗があるとは最近まで知らなかったです。
コンセプトは「身体を養う食べもの」とのことで、うっすら薬膳を意識して生きている私にも当てはまっていて嬉しい。
美味しそうなお団子やお饅頭におはぎを購入して上機嫌でお店を出た。

【初めての神社に呼ばれた和菓子と私】

帰り道「当てのないお散歩してみよう」と思い立ち、いつも行かない方向へ自転車を走らせる。
お昼ご飯もまだ食べていないし、どうしようか。と考えながら走るも、どの飲食店を見かけても特に何にも食べたくならない。
一駅分自転車を漕いだところで、見逃しちゃう程めちゃくちゃ細い路地に稲荷神社を見つけた。
吸い込まれるように路地へ入ると、色鮮やかで美しい神社の門が現れ驚く。
自転車を停め、さっき購入した和菓子を持って、一礼し門をくぐると、桜舞い散る境内に豪華絢爛な彫刻に囲まれた本殿という、さっきまでいた場所とは別世界かのように美しい神社でしばらく呆然と眺めていたと思う。

稲荷とあるからお狐様かな?と思ったけど、本殿には稲穂のマーク、奥にはガラスに反射してよく見えないけど御神酒と大きな鏡餅がお供えしてあるようだった。
昨年からなんとなく日本の歴史や古事記を学んでいたから「ウカノミタマ様かな?」と考えた。
初めましての自己紹介とご挨拶をする。
その隣にも何かが祀られていて龍神様っぽいけどよくわからない。
さらに奥の方にお狐様や七福神などの彫刻がたくさん祀られていて、とても大切にされいていることがわかる。

全ての神様にご挨拶を済ませてから、もうひと回りしてみる。
ウカノミタマ様とお狐様だけイメージが見えた。
お狐様だと思ってたけど色も形も動きも思ってたんと違う(これは後々辻褄が合うけど長くなりそうなのでまた別の機会に)。
チャネリングってこうすることなのかな?というのが最近わかってきた。
どうやらチャネリング(弱め)とリーディング(強め)は能力値によっても違うらしい。
まだ詳しく知らないけど、言葉の覚え始めって感じがして楽しいから今はそれで良いや。
イメージも能力弱々な私に合わせてか、人型ではないから文字では表現しづらい。

参拝後にその神社を調べてみると、神様たちと受けたイメージの辻褄が合っていて驚く。
今月始めにも、ちょっと遠くのスサノオノミコト様の祀られている神社でイメージが見えて、帰りの電車で調べてみたらイメージと辻褄の合うことが書いてあってびっくりしたなーと思い出す。
スサノオノミコト様とウカノミタマ様、二柱の神様について調べてみると、古事記では親子だったの?
日本書紀ではイザナギ様とイザナミ様の子とあるけど、そういえば近所の土地神様はイザナミ様だ。
他にも辻褄の合うところが色々あったけど省略。

もしかして紹介してくれたのかな。
ちょうど自分の生き方の進路変更を決断したところだし、五穀豊穣、商売繁盛の神様でもあるということで不思議な繋がりと共に応援されている感じがした。
というか、ウカノミタマ様は五穀豊穣の神様だし、御神酒、お餅、お米をお供えするよね。
この和菓子食べたかったから呼ばれたとか?
なんて妄想が広がります。

【動画のタロットカードにまで出てきた神様】

久しぶりに3択のタロットカード動画を見てみた。
そこでも私が選んだ選択肢にウケモチさんのカードが登場。
ウケモチ様=ウカノミタマ様、神様の呼び名は多々ある。
いつもは海外のタロットカード使ってる人なのに不思議。
ウケモチさんは、死神のカードに相当します。日本の神様で五穀豊穣と大地の神様なんだけど、亡くなってしまう。その亡骸は頭から牛馬、額から粟、眉から蚕(眉から繭を作る蚕って駄洒落かな)、腹部から稲、などを生み出し、それらが生物の糧となる田畑の種となります」という説明していました。
その種は秋に実るらしい。

その言葉から私はふと、教会のミサを連想します。
私は昔、カトリックの学校へ通っていたこともあり、信者でなくとも学校行事で教会でのミサに参加することがありました。
教会でミサが行われると、信者の生徒たちは白いヴェールを纏って神父様の元へ行き、パンとワインをいただきます。
食いしん坊な私は「良いなー美味しそう」とぼんやりそれを眺めていたことを覚えています。

そのパンとワインの意味は
パン=キリストの肉
ワイン=キリストの血

ということをだったと思います。
あれって美味しいのかな?気になる。
パンも平たいお煎餅みたいなものだった気がする。

【国内外の神様の共通点と私の連想力】

あれ?もしかしてウカノミタマ様キリスト様って同じことしてるんじゃない?
アンパンマンみたいに自分の血肉を生物に分け与えてるってことだよね。
国も宗教も性別も違うのに不思議と共通点が浮かぶ。

また調べてみると、稲荷はラテン語での略語「INRI」から来ているとか。
INRI=IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUMユダヤの王、ナザレのイエス

またカトリック学校で宗教の時間に習った「肉の肉、骨の骨」という言葉が頭に浮かび上がります。
これは創世記からの話で、神様がアダムの肋骨からイヴが作られた時の言葉だったと思う。

先生がめちゃくちゃ大きな声(音楽の先生でもあったのでものすごく通る声。多分他のクラスや学年にも聞こえてたんじゃないかな)でこれを連呼していたのでしばらく学校では意味もなくこれを叫ぶことが流行った思い出。

これには居眠りしてた私も流石に飛び起きた。
うろ覚えだけど、骨はアダムの肋骨からで、肉は大地から作られたんじゃなかったかな。

さらに謎の本「ヴォイニッチ手稿」の絵も思い出しました。
人間と植物が描かれているところがあるのです。
文字も意味もわからないけど、大地から恵まれた食べ物を食べて生きた人間の肉体が土に還るとき、また大地や植物の糧になるってことなのかな。と考えています。
でもこれは土葬だったらの話かも。
今の日本では例外あれど、火葬と定められているもんね。
どこかの国で“遺体を菌類に分解してもらう棺“を開発したというニュースも読んだことある。
キノコの一部になるのも悪くない。

食物連鎖ってこういうことだろうか。
という妄想が膨らむばかりです。

 

こんな話は誰も信じてはくれないでしょうから、母と親戚のひとりとこのブログにしか書かないことにしてます。


画像は桜のお饅頭と梅ジュースの炭酸割。
帰宅してからお庭の掃除しまくって汗かいたから、いつもより更に美味しく感じた!

花より団子の進路変更

f:id:aor1ngo:20220411143557j:plainすっかり暖かくなり八重桜も可愛らしく咲き始めています。
和菓子屋さんで三色団子を買ってお花見しながら食べました。

これから新生活が始まる方も多いでしょう。
私も新たな気持ちで、自分の進路を見直してみました。
今まで特注作品を制作していたのですが、それをやめることを決断。
今受けているもの以降のご依頼を締め切りました。

私には「デザイナー」ではなくて「表現者」になりたい!という目標があるのです。
以前、鳥の眼についてのブログを書きました。
その鳥の眼を持って、私は鑑賞者をどこにでも連れて行けるような作品が作りたい。

振り返れば、今までの私は何か役立つものを作らなければと制限をかけていたように思います。
でも今は「何の役にも立たないけど心が豊かになるもの」を作りたい気持ち。
素材も形も何だっていい。
自分に制限をかけずに作りたい。

小学生の頃の記憶はほとんどないのですが、台風の日に祖母の部屋で私は大人しく遊んでいた記憶をふと思い起こしました。
暴風雨と雷も鳴っていたのを覚えています。
お昼か夕方頃、雷が落ちることを恐れてか、電気類は全て切っていました。
薄暗い中でいつもと違う状況に私はワクワクしながらお絵描きをしていました。
それをまた自分に再現したい。

自分がワクワクすることや思想を形にしたい。
折角生きているのだから「やらなくちゃ」じゃなくて、出来る内にただただ楽しんで作りたい。
そう思ったのです。

最近お会いした、ある作家さんが「同じ芸術の学科でも、ひとつの学科は技術を、もうひとつの学科は哲学を学んでいるんだよ。だからお互いにコンプレックスを持っている。でも本当はどちらも出来ないと作品は作れないんだ。」と言っていた。
今私は独学で哲学も学んでいると伝えると、とても喜んで応援してくれた。
色んなことを考えて、突き詰めて、私だけの思想を作りたい。
そして私だけの形を作りたい。

10年以上前、忙しい日々を過ごす中で思ったことがある。
「昔の芸術家や哲学者は何故あんなに沢山発見や作品を次々作ることができたのか。お金はなくてものんびりとした日常を送れたから思考する時間がたっぷりあったんじゃないか。」
今それが私で実証されている。

忙しかった日々は、良い経験にはなったけれど自分が空っぽだった。
今の私は生きている実感がある。
自分で自分の生き方が好きだと言える。

私の技術は完璧じゃないけれども、平面も立体も制作技術は持っているし、独学で色々と学び積み上げているものがある。
まだまだ形にはなっていないけれど、私自身完璧なものを望んでいない。
私が好きなものは完璧じゃない。
それが人間にしか作れないものだと知っているから。

今年は私にしか作れないものを探そうと思う。

お題「これ買いました」

自分だけの鍵を見つけること

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最近どうも占いにめっきり興味がなくなって聞いても聞いても聞き逃しちゃうあおりんご。
自分を振り返るための占いだったのに、もうその必要がないみたいだ。

親戚と私が経験してきたことや学んだこと感じたこと考えたことを話していたら、別の国の性別も違う人で私と同じようなことを話していたということを聞いた。
そしてお彼岸にはまた不思議な体験もした。
もはや私が地球の生物でもない気がしてきた親戚とあおりんご。
だからって何も変わらない。そう思っていた。

それからというもの、今までよりもっと哲学や宇宙や量子力学や物理学に興味が出て、本をたくさん購入しては読み耽って考えて書き出してまた読んでの繰り返し。
作家さんと会う機会も増えてきて、今までひとりで考えていたことを話し合って共有したりヒントを得たりするようになり、繋がりも増え、コンセプチュアルアートへの理解力も断然深まってきたと思う。
個人事業主としての生き方も、いろんな方法や形があることを知った。

何より自分の作品についての考え方が以前とはまた変わってきたと思う。
今までの作品には、販売したものも含めて今では違和感がある。
作品としては特に問題はないのだけど「本当に自分が表現したいもの」ではないということ。
依頼される→クライアントが喜ぶもの納得するものを作る、というものはやはり自分のやりたいことではないと自覚してきた。
私は今後、そこから離れたいと思った。

もちろん、作家も制作販売もしていくつもり。
だけどこれからは自分で考えて表現したいものを作って行きたい。
売れる売れないより、自分が納得するかどうかが問題だ。

以前の私は、何故これがわからなかったんだろう。
考えなかったんだろう。
気付かなかったんだろう。
と今は不思議な気持ち。


忙しいこともあったんだろうけど、それはその時の私に必要なかったからだと思う。

昔から哲学者も芸術家もたくさん考える余裕がないと辿り着けないところもある。

今の私に必要なものは全て揃っているし、手に入るように世界が作られているように感じる。
あとは自分の中のものをどう消化して作品に落とし込めるかだ。
もっともっと深く考えて、ワクワクしたいな。

今まで父とはあまり仲良くなかったし、幼い頃からの嫌だったことの積み重ねもあったんだけど、最近親戚とお話ししている中でハッと気付いたことを自覚してから、心が軽くなって許せなかったことも全部ではなくとも少しずつ溶け始めているところ。

もう何十年も母と親戚の仲があまり良くなくて、私が話を聞きアドバイスを続けていたところ、先日嘘のようにすんなりと和解して色んな話がスムーズになり母は大喜びして私は感謝された。
誰にでも一生懸命尽くす母が今までより生きやすいようにと、自分も自然と動いていたから出来たことなのかな。
私もとても嬉しかった。

先日、いつも「売れないとダメだ!」という祖父と電話した時もいつも通り「どうだ、売れているか」と聞かれたけど「売れるよりも続けられるかどうかだよ。おじいちゃんのところと同じで急にブレイクすることもあるし、何が起こるかわからないじゃない」と伝えると笑って応援の言葉をかけてくれた。
私は祖父みたいに90歳超えても現役でいたいということもあり、この道を選んでいる。

海外からもとても陽気な親戚がやってきて、やはり私を応援してくれている。

このように誰にでも人生の中で鍵みたいなものがいくつかあって、それを見つける度に本当の自分に近付いていくんだと思う。
方法は人それぞれだけど、鍵を探し出すにはやっぱりひとりじゃ限界があるみたい。
でも最終的な答えを出すのはいつも自分と自分の中の魂。
周りに惑わされないようにしたい。

今までの私を振り返ると、いくつもの布石があることがわかった。
まず両親や親戚はこの人たちじゃないと今の自分になれなかった。
生まれてからの生き方や出会った人々、学校、仕事、他にも様々な経験をしてきた。
全てが必然だったこと、そして点と点が今やっと繋がって線になってきている感覚がある。

こうやって色んな人から鍵を得て今の私が成り立っている。
今も昔も自分が人かどうか怪しいところだけど、人生って面白いな。