あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

祝ブログ100記事目

2022年元旦の夜中にブレーカーが落ちて電力会社の方にお世話になったあおりんごです。
初っ端から飛ばしてますね、今年もよろしくお願いします。

さて、これは記念すべき100回目のブログ記事となります。
2013年に始めたから今年で9年目で100回目の記事とは随分少なく感じますが、書いてなかった時期もあるのでこんなものなのかも。
何を話そうかな。

 

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そういえば年末の記事では中川幸夫さんの作品集のお話をしましたね。
あれから年末年始ずっと考えていたところ、これは“時代は超えても現代の感覚にフィットはしていないんじゃないか“という結論に至り、早くも下山を始めました。
表現したいものもわかるし、命の輝きというのは普遍的なものだと思います。
ただ作家は作品や素材に対して支配的だったので、そこに時代を感じて少しモヤッとしていました。
令和を生きるに当たり、昭和的価値観に違和感を感じる様になってきているのです。
昔の当たり前は通用しなくなってきています。

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やはりあおりんごが時代も世代も超えると思えるものは、やなせたかしさんのアンパンマンのマーチの歌詞。
こちらは人生をどう生きるかを問う作品ですね。
私はどちらも素晴らしい作品だと思っています。
中川幸夫さんの作品は死に様を、やなせたかしさんの歌詞は生の過程を表現し、鑑賞者へ問いかけます。
鑑賞者はこれに応えて考えることができる、そこまでが作品なのではないでしょうか。
今のところ、私の目指す芸術山はそこかな、と思います。
とても参考になるので作品集を買ったことに全く悔いはありません。

芸術って生死の関わる作品が多いので「またか」と感じることも多いかと思います。
私も昔そう感じていたひとりです。
でもそれって生きる上での真理というか、生物には死というタイムリミットがあるからこそ、どう生きるかが問題になってくるのです。
そこで彼らの様に作品で問いかけることによって、作家がこの世にいなくても、時代を超えてその作家自体を知らなくても、その作品に出会った人がふと考えるきっかけになる。
この作品たちは少なくとも私の糧になっています。
私も誰かのきっかけになるような作品が作りたいです。
それにはまだまだ足りないものがたくさん!
というわけで、三が日は芸術関連に関わらず、様々な映画や講義動画を見漁っていたあおりんご。
興味深いものばかりで眠れぬ日々が続いております。

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まずは映画「劇場版 呪術廻戦0」と「マトリックスレザレクションズ」をひとりで観てきました。

呪術廻戦
昔チラッとアニメを観たかなぁ?くらいでしたが途中で観るのをやめた気がします。
なのでほとんど内容を知らずに観たことになりますね。
でもとても楽しめました。
続きもあるのかな。
鬼滅の刃」も映画以外のアニメは一通り観たのですが、呪術廻戦と共通するのは呼吸方法の大切さと、誰ひとり悪者らしい悪者がいなくてどのキャラクターも憎めないってところでしょうか。

マトリックス
「いつから私はスーパーマンを観ていた…?」ってなりました。
これについてはそれ以上の感想は何も思い浮かびませんでした。

本、映画、芸術作品についても、私はしばらく日本を含むアジアのものに切り替えた方が良いのかもしれない。
言動、表現の奥まった意図やその内容が全く頭に入って来ないから考察も出来ない。
他の人は出来るかもしれないけど、今の私には難しいです。
今年はしばらくアジア圏のものだけに触れてみようかな。と思います。

それから美大(母校)のネット配信講義、別の大学の脳科学分子生物学、イベント講演、LGBTQ、精神心理学の講義、仏教の講義、現代アメリカでのユダヤ教聖職者解説動画などを観て学びました。
世の中には知らないことがまだまだ沢山あります。
その知らなかったことが、自分で調べればなんでもネット上で資料が出てくる便利な世の中。
特に日本は小さな島国なのに日本語での翻訳資料が豊富です。
これは世界的に見ても珍しいことなのだそうです。
マイナー言語になればなるほど、翻訳資料が少ないため、必死で外国語を学ばないと何も調べられないということです。
日本語はマイナー言語ではなく需要のある言語なのか、資料を作る優秀な方々が多いのか、私にはわかりませんが、とても助かります。
ただ私たちはそれが嘘か誠かを自分で判断していくことが必要です。

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そういえば脳科学の講義については以前も脳の損傷について考えたブログも書いたほどなので、とても興味深かったのですが、実は私の幼馴染の大学の先生の講義だったと動画を観てる途中で気が付きました。
なので先日幼馴染に会った時、実際の講義はどうだったのか聞いてみました。
幼馴染は「頭が良すぎて聞いても難しくてよくわからなかった」とのこと。
それは頭の良い大学生向けの講義だったからでしょうか。
私が観た講義はとてもわかりやすかったので、多分一般向けだったのでしょうね。

分子生物学もとっても面白かったです。
生物は小さな粒子が集まって出来ているということでした。
そういえば中高生の時にそんなことを習ったような。
例えば、食べ物を食べると、それはその粒子の数粒になって身体の一部となり、その一部になった分の体重などは増えることはなく、一部となった分だけ元の身体にあったものが壊れたり排除されたりして入れ替わっていく。
人間は7年毎に身体の全ての細胞が入れ替わる計算になるので、7年毎に違う人間になっているはずだと。

確かに昔と今では、同じものを見たり読んだりしていても、捉え方が全く違います。
最近特にそう感じることが多くなってきました。

なんだかここでマトリックスの内容がふと思い浮かびますね。
目に見えているこの世界は、実際全て粒子のつぶつぶの集まりで嘘か誠かわからない。
何故私たちは言葉を発し、考え、コミュニケーションを取り、生きているのか。
謎が深まります。

記念すべき100回目の記事なのになんだか思考力が鈍いです。
今年はもう少し考えをまとめられる様にしたいな。