あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

芸術の難関「魔の山」に登る

今年もあと1日。
そんな年の瀬に、一番欲しかったものを手に入れました!

前衛芸術花道家
中川幸夫作品集「魔の山

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本当にずーーーーーーーーーーーっと欲しかったんです。
お値段が高くて何ヶ月も迷っていました。
でも今の自分に必要なものだという結論に至り、清水の舞台から飛び降りる気持ちで手に入れました。

ここからはいつも通り、独断と偏見での私の感想を連ねます。

私が美大一年生の座学の授業を受けていたときの出来事。
先生がこの作家の作品をスクリーンに映し出し紹介した時、それまで少し眠たかった目が釘付けになりました。
その授業のこと、作家のこと、作品のことを、卒業して何年経った今でも覚えています。

今やその作品集が数倍の値段になっているなんて。
しかし本が届いてからは嬉しくてドキドキワクワク!
早速読んでみると、ページをめくる毎に手汗がジワジワと出てきます。
そこには作家と素材の命が凝縮された作品ばかりでした。

花道の家元に「これはいけ花ではない、すぐに撤去しなさい」と言われたということも書いてありました。
私も流派は違えど花道を嗜んでいたので、なるほどな、と感じました。
私の知っている花道とは、花の美しさを最大限に表現した上で蕾から花が咲き枯れるまでを見越して生けるものでした。
切り花ですから土に植えた根のある花よりも当然短命となりますが、生けてからも生命の過程を見ることが出来るものが多いのです。
ただ中川幸夫さんの作品に関しては、その過程を自らの手ですっ飛ばし、死に向かう瞬間を表現しているものが多いので、結果「花を生けてはいない」ということだと思います。

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死に花を咲かせる」
という諺が一番近いのではないでしょうか。
作家の手によりコントロールされた命の灯火が消える手前の悪魔的な美しさがお見事としか言いようがない。

本当に心して見ないと心臓に悪いというか、圧倒されます。
私の手、いつもはサラサラなのに、この本をめくる度に何度手汗を拭いたことか。

天才は本当に「鑑賞者には当然このくらいの知識があるから伝わるはず」という体でことを進めるから不思議。
なくても調べるけど、あった方がより深く調べられて理解度が増すということでしょうか。
タイトルがヒントとなり、生命について考えさせられます。
作品とタイトルが点と点になって、更に知識や感性も点となり、全てが線になった時に鳥肌が立つ。
常に自然と性、生と死が隣り合わせ。
チューリップが多用される。
デザイン業もしていたということから、魅せ方が素晴らしかったです。
印刷にも拘ったということですが、その前に構図にも、もちろん花の変化にも、器にも背景にも、全てにおいて計算し拘り抜いていることがわかります。

読む機会があったら是非お手にとって頂きたいです。
これは時代を超える作品です。
惹かれるということは、私はあの人を越えなければ納得できないということかもしれない。
登る山は険しいよー!

彼の作品は、日本独特の感性。
日本には「道」がつくものが沢山あります。
花道、茶道、柔道、弓道、剣道、神道など、これらはその道を極めて生きることを示す様です。
国内外にもお教室などがあるものの、この概念は日本独自の文化から来ているもの。
根っこから理解するのは”日本で育った者には何となく解ることもある”くらいなのに、これを海外の方へ一から解説するとなるとどこから説明して良いものか悩みます。

私が何故「華道」と書かず「花道」と記するのかは、北京語を習っていた時に「華」は中国大陸を示す言葉が多いので、日本の文化なのに「華」という文字を使うことに違和感を感じた、という様なことを言われました。
しかし本来これらの道がつくもの含め大体の文化は中国から渡来し、日本で独自の変化を遂げたもの。
だから「華道」は間違ってはいないのだけど、現代は合ってもいないという複雑なところ。
調べてみると、相撲や歌舞伎には「花道(はなみち)」というものがあります。
読み方は違うけど、漢字が同じなのでこれもまた複雑。
とはいえ、相撲も神様に見せるための神事、歌舞伎も神楽から来ている様に思えます。
※諸説あり
そういえば、武道場には神棚がある気がする。
それに所作が神事のときと大体同じなのは関係があるのかな。

うーん、ややこしい。
結局、伝われば何でも良い気がして来ました。

そしてこの本を最後まで読んでから知ったのですが、私が卒展作品を考えるときに必要だと思い学んでいた今は亡き作庭家の重森三玲さんの講演会へ中川幸夫さんも学びに行っていたそうです!
私は講演を聞けなかったけど、京都まで足を運び、重森さんの手がけた沢山のお庭を直接目にして重森さんのデザインや思考に耳を傾けたものです。
ナニコレ運命かな???運命だね?
そこでもわかったことは、中川幸夫さんは空間芸術を大切にしていたことになります。
床の間の作品画像もあったくらいですからね。
花道も茶道でもそうですが、床の間という空間に全ての素材によってあらゆるバランスを考え、そこでひとつの意味を持たせるのです。
茶道は宇宙に通ずるというのはそういう意味もあるのかもしれません。
もう一度私も重森美玲さんから学んだことを反芻し、更に調べて考えを深めてみようと思います。

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さて、私はこれからこの険しい山を登るつもりですが、まだまだ知識も経験も考えも足りません。
もっともっと学びたい考えたい。
となると私の場合は「藝術道」と言ったところでしょうか。
登れば登るほど酸素が薄くなり、気温も下がるような過酷な藝術山への登山。
何と言われてもまずはやってみないとねー!という精神の私。
少しずつ装備を身につけつつ、自分のペースで登りたいと思います。

 

お題「我が家の本棚」