あおりんごの凡ぶろぐ

美大を卒業した後、色々な経験を経て、現在は個人事業主&作家活動中

最後の1年をどう生きる?


ここのところ解りやすいほど奇跡が起き続けている。
友人との二人展を来年開催することが決定した。
ギャラリーを渡り歩けばお昼ご飯をご馳走になり、アートイベントチケットをいただく。

推しと付き合えたあたりから、私の人生最高過ぎませんか?
作品売れてから言いたいけども。
それにしても、です。

友人と話していてハッとしたのは
私はパートナーと付き合い始めた前後あたりから
「毎日幸せ過ぎて来年までの命かも」と思って生きていると気付きました。

人間急に幸せが連続で起こるとそう思っちゃうものなんですね。
嫌なことあっても、感じる幸せの方が大きいので
「こんなご褒美あって大丈夫か?」
となります。

でもこれはもしかしたら考え方や感じ方が変わったからかも知れません。
もしかしたら今までと変わらず通常通りの人生なのに、私の感じ方が変わって幸せの方を感じる力が強くなったとも取れます。
それに「来年までの命かも」と考えると、逆に生きる力が強くなった感覚もあります。

命はいつまで保つのか?
この世界の終わりはいつなのか?
それぞれの寿命が決まってるとしても、明日かもしれないし、100年後かもしれないし、正直知ったことじゃないし、知りたくもない。
でも、死ぬ気で大好きなものにエネルギーを使った人の作品って魅力的。

私はそういう人や作品って愛を感じて大好き。
音楽はあんまり聴かないんだけど、台湾のアーティスト1人と日本のアーティスト1人と韓国のBTSは聴きます。
音って自分と共鳴するものに惹かれるんだって。
私が好きなアーティストはそれぞれの愛を歌っていることに昨日気付きました。

現実的な人に「愛?恥ずかしーい」というようなことを言われたことがあります。
他人の好きなものを否定するのもどうかと思うけど、この人とは価値観と愛の器の大きさや形が違うんだなと思いました。
その方から「自分の子供以外可愛いと思えない」という言葉を耳にして驚いた覚えがあります。
自分の子供が可愛いのは良いけど、他人の子供も全人類も、小さい頃から面倒を見てきたその人自体も私には何歳になっても可愛いままなんだけど、違う人もいるんだな。

今週行った旅先の神社付近のレストランでは、私のお気に入りYouTuberの企画にゲスト出演した方と偶然お会いすることがありました。
大勢の方を引き連れていたし、私にはそっと帰る選択肢もあったのです。
でもなんだか話す機会だと思ったし、画面上だけでなく相手をもっと知ってから自分と合うのか合わないのかを判断した方がいいと考え声をかける決断をしました。

その方は日本の伝統行事を大切にしている人でした。
当日はその神社に訪れるという行事だったそうです。
私もその神社へ行ったのは意味があったんだなぁということ、それにやっぱり今日ここへお呼ばれしたのだと実感出来て嬉しくなりました。

私の後ろの方々も嬉しいのか、身体がソワソワとしました。
御祈祷中にはバキッというラップ音が何度も起こったのですが、私の他には聞こえた人がいなくて驚きました。
御神楽のときにはラップ音は全く起こりませんでした。
でも目を瞑っても特に何も見えなかったので、見えないくらい大きいものだったのでしょう。

もうひとつの神社では、急に雨が降って、通りすがりの人が「通り雨ね」と言ったのが聞こえてしばらくすると本当に雨が止んでから嘘のように晴れました。
お線香販売店の方からは「雨や雪が降るときは大日如来さまが門の外までお出迎えしてくれていると言われています」と教えてくれました。
参拝中も3箇所で左足の裏から頭のてっぺんまでゾワゾワが抜けていく感覚が起こりました。
何が起こっているのかはわかりませんが、何かが喜んでいるんだろうなーと悪い感覚ではありませんでした。

人はご縁を感じて、毎日奇跡を感じて、それらに感謝して、生きてるみたいです。
いつ私の世界が消えるかわからないから、行きたい場所へ行き、誰とでも会えるときに会って、何でも伝えられるときに伝えて、やりたいこと全部しましょう。

今日も6年前にお世話になった上司と会う機会があって、私が会社内で落ち込んでいたときに
「それで、誰かじゃなくて、あなたはどうしたいの?」って聞いてくれた言葉が今も胸に残っていて今でも時々その言葉を思い出すと上司に伝えてきた。
上司は全く覚えていなかったけど、少し照れていたように感じた。
思えばその言葉から気付けたことがたくさんあるな。

この世界は永遠でも私たちの肉体には限りがある。
それが寿命。

祖父母や父母を観察しているとより実感する。
肉体は衰える。
衰えと共に出来ることもやる気も削がれ減っていく。

でもその中で事実を受け入れた上で出来ることを見つけて成長していくこと。
楽しいと実感していくこと。
それを独り占めしないで人にも分けて、皆で幸せになろうとすること。
全人類は難しくても、周りにいる人や動物でも植物でもいい。
出来る範囲で小さな奇跡や愛を見つける癖をつけると人は幸せになれる。
多分、そういうものを見つける能力も上がったんだろうな。

あと人の目を気にしなくなったのもあるかも。
だって来年までの命だと考えてみて。
人の好奇な目やくだらない噂話よりも、自分の人生を面白したり周りの方を幸せな気持ちにさせる方が気分がいい。
どっちが長生きできるか知らんけど。

生まれ変わりもあり得るけど、いつだったか誰かがめくった本の文字を見て
「私地球に生まれ変わるのこれで最後なんだ」とわかった。
来年までの命って感じて生きているのは、それもあるかも。

何がいつどんな形で起こるかわからない人生。
あなたも自分の最後の1年を生きてみませんか?

そんな奇跡みたいなことある?

前々からだけど最近は特にコロコロと奇跡のように不思議なご縁が繋がっていく感覚がある。
見えないからなんとなくなんだけど、これは後ろの見えない方々が頑張ってくれている感が否めない。

①パートナー
大学時代から10年の時を経て出会って交際までに至った。
※それまでにも何度か出会う機会はあったのに会えなかった。

②月一で会う友人Mちゃん
親戚の会社のパーティーで紹介される。
親戚の昔の会社の上司の娘さんなのだけど、そんなの関係なく気が合い気兼ねなく話せる。

③同窓生Kちゃん
中高の学生時代は存在は認識しても接点がなかった。
私が同窓生の家の近所でお店を始めたとSNSで知ってから来てくれた。

④ARMY友Sちゃん
SNSを通じてリアルで会った数少ない友人。
そうは言ってもまだ3回しか会ってないけど。

⑤ものづくり仲間Sさん
とある別分野のイベントでたまたま私が隣に座りに行き、話してみたら同じようなものづくりをしている人だった。
私もその方のお店へ行ったし、その方も私のお店へ来てくれた。

▶︎▶︎▶︎

①パートナーに関しては以前も散々書いたけれど、大学の先輩で10年来の推しです。
お付き合いして一年が経ちましたが、何かあれば話し合いをして、何かに気付けたら相手に寄り添い歩み寄って直す努力をしたり出来て、お互い成長している手応えを感じています。

②Mちゃんに関しては不思議なご縁ではありますが、そんなこと気にならないほどお互い無理もなく肩の力を抜いて、気になることも話せます。私の性質のせいもあるかもしれないけど、お互いの心地良い距離を保って付き合えてる感覚があります。月一くらいで会おうって話になるのは彼女くらい。

③同窓生なのにクラスが違ったこともあってか、姿はわかるけど接点なさ過ぎて共通の思い出がほぼないのに家が近いからと会いにきてくれたチャレンジャー。近所にお住まいなことも知らなかったし、なんだか有難く感じた。

▶︎▶︎▶︎今回は④⑤の方々との特に不思議なご縁について書いていこうと思う。

BTS繋がりでSNSにて知り合ったSちゃん
なんとなく日を合わせて美味しいもの食べにいこうとなる時がある。
今はバンタン兵役中だからカムバで騒ぐこともなくゆったりとしたもんだ。

前日から「明日楽しみだね!」とメッセージを送るが返事がない。
忙しいのかな?と特に気にせず翌日早朝からSちゃんが予約とってくれたお店の方向(1時間以上かかる場所)へ移動する。
移動中にも唯一の連絡手段となるSNSがどうも動かない。
到着しても動かない。というかそもそも電波悪い。
待合せ時間に余裕持ってつけたから良いけど、待ち合わせ場所がざっくりだから会えなかったらどうしよう!?
パニックになりながらもスマホに対して電源オフにしてみたり色々な方法を試してみる。
なんとか繋がり、連絡が取れて、待ち合わせができた。

※前日のメッセージにも返信してくれていたことが発覚。ということは前日からおかしかった?

茨城県のお店で美味しいものをお腹がはち切れんばかりに食べる。
やっぱりスマホの反応がおかしい。
SIM関係かな?という話になる。
お店を出た後に、次はどこへいこうか?と聞かれた時に「鹿島神宮に行きたい」という案が私からパッと出た。

時は1週間前に遡る。
YouTubeでハマった動画があり、観ていたら「鹿島神宮」というワードが気になって地図で確認していた。
そのYouTubeを聴きながら、ものづくりとは少し別分野のスクールへ行くとたまたまその日同じ教室へ来ていた人が茨城県出身で会話していると相手から「鹿島神宮」の話が出てきて驚いた。

スクールと同じ日か翌日かに母から関西旅行に誘われた。
伊勢神宮」に行こうとのことで、日も合わせられそうだったので親子2人旅が決定。
※更に2週間前に遡ると②Mちゃんもお正月に伊勢参りに行っていたという話を聞いている。

なんだか“神宮“って場所が気になるなーとぼんやり思っていた。
当日Sちゃんに聞かれて他にも候補はあったはずなのに鹿島神宮一択となった。

お参りに行ってみたら、Sちゃんもよく来る場所なのだそうで案内してくれた。
神の使いとして境内に鹿も飼われていた。
※そういえば2週間前にパートナーも1人旅に出かけて静岡の神社へ行って鹿を見てきたと聞いた。

実際行ってみると空気も澄んでいて、気温も暖かく上着が要らなかったほど。
奥の院までお参りに行き、要石も確認して、池も見て、お団子食べて帰った。

帰ってから「神宮」を調べてみると、古来からの三大神宮というものがあるようで

伊勢神宮(三重)
鹿島神宮(茨城)
香取神宮(千葉)

※今よくよく考えてみたら、パートナーが一番最初に貸してくれた本として選択したのは江戸時代の人々がお伊勢参りに行くにあたる旅に関しての本だった。

というわけで、神宮という場所に呼ばれているのか。
神様や場所に呼ばれているのかわからないけど、やっぱり後ろの見えない方々(ご先祖様たち)やいつかの私が導いてくれている説が有力な気がしている。
今年はそういうパワーが必要な時ということなのかな。
よくわからぬまま進んでますけども。
人生は何が起こるかわからないし、決めたってそっちに行けるとも限らないし、あとは神のみぞ知るってところです。

香取神宮も行きたくなってきたな〜!
今思い出したけど、先月は「すずめの戸締まり」を観ていたな。
あれもそういうルートを巡る話だったっけ。

 

スマホは結局帰ってからは正常に動いている。

⑤ものづくりギャルSちゃん
昨年末にものづくりとは全く別分野のおしゃれイベントに行きました。
自由席ではあったけど、もう皆さんそれぞれ席についていて、空いている場所に私が座る感じでした。
左側の席には同じ匂いがする真面目そうな方々、右側にはギャルギャルしい方々。
何故か私は同じように髪をいろんな色に染めているギャル側に行きました。
そしてたまたま隣になったのがボルドー色のヘアカラーギャルのSちゃん。
お互い自己紹介をしてみると、どうもその分野以外にもものづくりの活動をしているようで話が合い、そのイベント後も別のカフェで飲み直しました。
そこからSちゃんのお店へ私が行き、Sちゃんも私のお店に来てくれたりと繋がりが出来ました。

何気なく世間話をしていると、Sちゃんの地元がどうやら私が10年前に通っていた美大の近くだとわかり、ローカルな話題で盛り上がりました。
更に話を進めていくと美大には芸祭というお祭り?があるのですが、そこにもよく来ていたとのこと。
その美大には毎年行われる有名な舞台があるのですが、それも観ていたということでした。
内容を詳しく聞いてみると、私が大学にいたときに観ていたものと同じ。
※毎年内容が変わる舞台
10年前にすれ違っていた確率が高いことが発覚して驚きました。
そんなことある!??と顔を見合わせて不思議なご縁に笑いました。
ものづくり繋がりでまたお会いする約束をしました。

▶︎▶︎▶︎

不思議なご縁はこれからも続く気配があります。
数年ご無沙汰だった中高の方々も何故か今年同窓会を開くと連絡がありました。
まさかそんなことが。
ということは沢山あるから神宮へ行けってことなのでしょうか。
それは今年が終わってみないとわかりません。
ちょっと怖いけど、楽しみでもあります。
生きるのに好奇心と見えるものや見えないものを感じて味わうことが大切。

答えはすべて自分の内側


「夢」「理想」「手放し」というワードが未だにしっくり飲み込めないあおりんごです。
「夢に向かって頑張ってね」と言われたことがあり、驚きました。
夢なんて一言も言ってないし、意識もしたこともなかったからです。
夢って言葉は私にとって儚いものや空を掴むようなものに聞こえているからかもしれない。
理想も同じ。
手放しも感覚的には理解できるけど、それも自分なのに見つけたものを外に放っちゃうの?
言語感覚の相違なんだろう。
そんなの皆持っているよね。

私の言語感覚

・夢→日々自分との約束を守る
・理想→最高の自分を想像する
・手放し→内へ抱擁する

最高の自分を考えた時、結局どうしたら不安要素がなくなるのかを考えていることに気づいた。
心配事、不安なことは執着に結びつきやすい。
しかしそれがなくなると心は安定し、鳥が空へ羽ばたくようにフッ軽になり、好きなことに集中できるはず。

Q.あなたの心配事、不安なことは何ですか?

私にとっての心配や不安は、今のところお金を自身で自分を養えるほど稼げるようになるかというところに結びつくことにあります。

Q.でもそれらを考えずに生きるなら何がしたいですか?

働くことをせずに表現をしていきたい。

つまり、
働く意識なく表現しながら自分で稼げるようになるということが私の考える最高の自分ということです。

Q.私の大好きなこと

①パートナーや家族や親戚の子供たちなど大好きな人たちと大好きと伝えたりハグすると内側から温かい気持ちになる
②誰かが私を想って選んでくれたものや作ったものを受け取ったとき
③私が行ったことによって誰かが前向きに生きる意志を持つ顔になったとき
④誰かが私を想って考えてくれる時間

他にも20個ほどあるのですが、ここに出したもの全て別々の感じ方なことにお気付きでしょうか。
①身体感覚
②物体
③自分の目から見たもの
④見えないけど感じるもの

Q.私の苦手なこと

①自身や誰かを貶めたり傷つける言動(否定、過剰な謙遜、卑下)
②最初から諦めて逃げること

これは少なくて10個以下だったのですがやはり例として出したものは別々の感じ方です。
①身体感覚
②見えないけど感じるもの

とはいえ、大好きなことも苦手なこともときに必要な人がいることも知っています。
人間は脆いし、弱いし、ひとりで生きることが出来ないから。
同時にそれが必要でない人もいるってだけ。
それはもう生まれる前から体験するって決めてきたこと。
その感覚や感情をいちいち味わうために身体を持って生きている。
ただそれだけです。

私は成長したいし、進みたいから、ずっと同じことをしていたくないし、飽きちゃう。
苦手な堂々巡り(悩み)をしていたら「抜け出したいのか、抜け出したかったらどう解決するか」を考えるだけです。
自身を分析して問いかけて知って寄り添って生きれば、自分だけの答えがあると私は知っています。
皆が皆、それぞれの人生を決めて生まれてきているので、私が誰にどうして欲しいとかはなくて、自分はどう生きたいかってことです。
逆に私が誰かにどうして欲しいと思った時は、相手をコントロールしようとしている危ない時なので自分でそこに気付かなければならない。
でもそれも自分なので、何故そこでそう願ったのかを考え受け入れていく。
全部、私の内側に答えがあることを知っています。

ひとつひとつの感情や言動も私。
良いところも悪いところも全部私。
それは誰も彼もが同じ。
失恋と同じで、無理に手放さなくてもいい。
「そうだね、それも私」とその感情を味わって受け入れたとき、シュワっとしますよ。
お試しあれ。

明けました

お久しぶりです。
あおりんごは今年も生きております。

▶︎元旦

元旦には大きな地震がありました。
その頃、家で家族とおせち料理をつついた後、弟と昼寝をしておりましたところ、揺れを感じてそのままの姿勢でいました。
弟は寝ていると思っていたら起きていたようです。
揺れもおさまったのでぼんやりしていたら親戚が来て「どうやら大地震があったみたい!」と我が家のテレビをつけ始めました。
先ほどの揺れからは想像もつかない事態に驚き絶句しました。
親戚の子供たち(4歳、2歳)も「只事ではない」という不安気な面持ちをしておりました。

私も未だに“災害に遭うこと“がどういうことなのか、よくわかっていません。
地球のくしゃみだとしても、被害が大きいように感じます。
亡くなった方も多い。
しかし、生き埋めになったものの雨の水滴により生き延びて救助された方もいて。
大自然は突然に生死を突きつけてくるけど、同時に守る存在も見えてくる。

不便な中、Aさんの家にないものをBさんに借り、Bさんの家にないものをAさんが借りたり、助け合っていらっしゃるのを見ると、私の想像もつかないほど大変だろうに助け合う気持ちを保てていることに尊敬の念を感じずにいられません。
もし自分が被災したら、優しさを保つことが出来るだろうか。

被災された皆様にはこれ以上被害が広がらぬようにお祈り申し上げます。

▶︎金のこんにゃく指輪

パートナーとの記念日にデートをしました。
たくさん歩きました。
たくさん話しました。
今後の話もしました。
パートナーが黒い箱をくれました。
そこには金の婚約指輪が入っていました。
※私はもう昨年渡しております。逆プロポーズのようになりました。
この指に指輪をする日が来るとは。
一生ないかと思ってました。
私の渡した歪な指輪とは違って販売してるのかってくらいちゅるんとした美しい指輪をいただきました。
18金の地金からそれぞれ一から作った指輪。
一緒に写真も撮りました。指の。
なんだか指輪が細いと指毛が気になります。
2人で指毛の脱毛を考えました。
結婚指輪は24金にしようと話しました。

▶︎今月終わらせたいこと

・お直し制作
・ご依頼絵画
・部屋の片付け

▶︎今年やりたいこと

・お店兼ギャラリー
・売り上げを少しでも上げる
・お客さまにも自分にも五感に楽しいようにする
・初めてのことをなるべくしてみる
・仕事は大切だけど、同じくらい大切なものも重視してバランスよく
・思考を作品に表現する
・平面も立体も表現の幅を広く、自分でも面白く感じるものを作る
・尊敬する人から色んなことを習う
・習ったことを自分の中に落とし込み、今度は自分が教えられるようになる
・とにかく健康に生きる
・健康に生きるために薬膳や身体に何がどう作用していて何が足りないかを自分の身体に聞きながら取り入れていく
・ヨガ
・運動
・無理しない
・習い事も忘れずに
・ジャンルバラバラでも外国語で動画作って出す ※間違っていても良いので挑戦
・とにかく手を動かす
・出来なくても数をこなしてみる
・ワクワクする、させる部屋にする
・本は常に読もう
・誰とも仲良くすること
・相手の立場に立って考えること
・無理して付き合わなくていいけど角は立てない
・お金は遠慮せずに稼ぐこと
・その人にとって価値があるものを私の力を使って作って売ること
・自分の意見を素直に聞いて受け止めること
(つづく)

▶︎初夢

初夢はなんかを作っていてパートナーと余計なものを削ぎ落としているというものでした。
誰かに「もっと表(皆に見える場所)に出て来て良いんだよ!?」と驚かれたけど、奥の方で作業していた。

今年は無駄なものは削ぎ落とし、恥ずかしがらずに表に出るように意識します。

今朝もなんか食べ物に金の羽が見える夢を見た。
縁起良さそうです。

▶︎ヘア

人生初めて髪をピンク色にしました。

友人ってなんでしょう?

過去には一緒にいて楽しかったはずが、それから何年も経つとチャンネルの合わない人になる現象に名前はついているのでしょうか。
銀河鉄道の夜」を読んだ時も思ったこと。
人間関係とは「その時たまたま一緒に乗り合わせた人で降りる駅はそれぞれ違う」のだと。

会いたく思っても、お互いに色々な事情があって会えないことがある。
それは今会うべきでないということだ。

パートナーと私もお互いの今までの状況や気持ちを聞いていて学んだことでもある。
「会いたくても会えない状況」は自分の預かり知らぬところで起きていることが多い。
会うべき時に会うようにセッティングされているので、その時まではどうやっても本人同士も会う気分になれなかったり、諸事情により会えなかったりする。

私にもちょくちょく連絡をくれる友人がいる。
それはありがたいことだ。
しかし肝心の私が全く会いたい気持ちになれない。
正直、時間は作れるはずだ。
でも会いたくはない。

原因は過去へ遡る。
友人は私に好意的だが、その好意は「利用目的」が大半であり、薄いものだった。
当時の私にはそれが好意だけだと思い込めていたので、普通に嬉しく感じていた。
だが、その内違和感は募っていく。
4人でよく遊んでいたと思っていたのは私だけで、実際は私抜きの3人で遊んでいたことが多かったようだ。
私にその連絡は来ていない。
つまり仲間外れにされていたのだ。
その会話を目の前で何度もされた時の疎外感、孤独はその子たちに理解されないから私の目の前で話が出来るのでしょう。
果たしてそれを今も「友人」と呼んで付き合うべきだろうか。

現在の生き方も状況もそれぞれ違う。
確かに違うからこそ面白い話は出来るだろう。
ただ、そういう経緯を思い出すと中々会いたいと素直に思うことができない。
手放すことや許しが必要なこともわかるが、自分を守ることも大切だ。
経緯を抜きにしたところで、メッセージの返信を考えるだけでも心身共に疲弊していくことが自覚できる。

別件で、唯一連絡を取っていた前職の人についても。
相手が連絡できる状況だと私もわかっているし別の返信は早いのに、約束の返事が数週間〜1ヶ月待ちで、会っても話題が前職の愚痴なのだ。
別の話題にもしたけれど、何故かいつも前職の愚痴へ話が戻ってしまう。
3年はなんとか気長に我慢しただろうか。
しかし流石に疲れてきたので疎遠となった。

今は新たに出会った、分野も年齢も国籍も違う人たちと楽しく過ごせている。
それにより新たな目標も心のバランスも取れてきている。
話を聞いてみると皆ひとりが好きな人で、友人も少ない、いないと言う人が多い。
なのに他の人とはいかないけど初めて私とお茶や食事に行けたとか、深い話をそれぞれしてくれるのは、友人とまでは呼べなくてもほんの少し信頼してくれているんじゃないかと私は感じている。
そうなるのはお互い自分の仕事に(ジャンルはバラバラ)誇りを持って一途な方々だからこそ深い表現の話が可能でもあるのだとも。

悲しかったこと、悔しかったこと、苦しかったこと、寂しかったこと。
私が感じたことを他人にしないよう気をつけながら生きたい。

風邪もコロナも心の痛みもなるべく私で終わらせたい。
自分によって他の人に同じような体験させたくないから、会うなら少人数で相手に歩み寄る努力を。
そして大人数ならば内容は薄くなるけれど皆が知っている話題にして置いてきぼりをしないように。
私に出来ることをして生きていく。

以前の私はお人よしだったからというのもあるけれど、今は角が立たぬよう自分の気持ちに従って断ることにしている。
そうして生きていると人間関係は縮小していくのだが、心にも時間にも余裕ができるし、できた余裕を今そばにいる私の大切だと思う人たちに目一杯注ぐことが可能になる。

傷ついたけれど、恨んでいるわけでもなく、会いたくない。
ただそれだけの話でした。
それぞれが幸せに過ごせますように!

お題「ささやかな幸せ」